しかし、なお一方に残された三分の聡明性は、よく、裏と表とを塗りかくして、いまだ誰人《たれびと》にも、そのボロを見せないだけの横着と、細心とを保っているのです。
 ですから、誰が見ても、表面はあたり[#「あたり」に傍点]前の百姓で、百姓の合間にその早足を利用して、尋常茶飯《じんじょうさはん》の如く、京鎌倉までも出かけてくる余裕が、近隣の百姓たちを羨《うらや》ませておりました。その実、七兵衛の本心では、自分の能を羨ましく思う百姓たちの不能を、羨ましく思うことばかり多く、あたり[#「あたり」に傍点]前の水呑百姓で、コツコツと畑を打って、女房子供を食わせていって、一生を終ることができれば、これに越した幸福はあるまいと、今も草鞋《わらじ》をつくりながら、つくづくとそれを考えているところであります。
 十八史略までは素読《そどく》を授かった覚えのある七兵衛は、「我をして洛陽負郭二頃《らくようふかくにきょう》の田《でん》あらしめば、いずくんぞよく六国の相印《しょういん》を佩《お》びんや」という文句を聞いて、それはおれの家に二反の畑さえあれば、いまさら六国の相印を佩びて苦労するにもあたらなかった
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