ヨーロッパ》の目抜きを横行して、維納《ウィンナ》の月をながめて帰ることができました。しかし、粗漏《そろう》なる文明史の記者は、こんなことを少しも年表に加えていないようです。
いわんや、この一行が大倫敦の真中で、日本大小手品を真向《まっこう》に振りかざしたこと、その鮮やかな小手先の芸当に、驚異の目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ったロンドンの市民のうちに、十九世紀の偉人ジョン・ラスキンがあったことを誰が知っている。
更にまた、この十九世紀の予言者であり、文明史上の偉人であり、絶世の批評家であるラスキンが、この小技曲芸をとらえて、日本の文明を評論した無邪気なる誤謬《ごびゅう》と浅見とに、憤りを発する者が幾人《いくたり》ある。
青丹《あおに》よし、奈良の都に遊んだこともなく、聖徳太子を知らず、法然《ほうねん》と親鸞《しんらん》とを知らず、はたまた雪舟も、周文も、兆殿司《ちょうでんす》をも知らなかった十九世紀の英吉利《イギリス》生れの偉人は、僅かに柳川一蝶斎の手品と、増鏡磯吉の大神楽と、同じく勝代の綱渡りと、玉本梅玉の曲芸とを取って、以て日本の文明に評論を試みている。
けれども、これは偉人の罪ではない、時代の罪である。世には陋劣《ろうれつ》なる小人と、商売根性というものがあって、盛名あるものの出づるごとに、ことさらにそれを卑《いや》しきものに引当てて貶黜《へんちつ》を試みようとする。ヴィクトル・ユーゴーが初めてエルナニを上演した時に、一派のものは、わざとおででこ[#「おででこ」に傍点]芝居を狩り催して、それにエルナニをカリカチアさせて欣《よろこ》んだ。
ラスキンのあやまちは無邪気なるあやまちである。後者のあやまちはそれではない。小人の食物は嫉妬であって、その仕事はケチをつけることである。ここに巨人でもなければ、英雄でもない女軽業の親方お角さんがあります。その周囲には従来の興行師と、それに属する寄生虫の一種、それをこわもてに飲んだりねだ[#「ねだ」に傍点]ったりして歩く無頼漢の群れがある。この連中にとっては、回向院境内の仮小屋の棟の高さがことのほかに目ざわりであります――そういう者の存在を知って知り抜いている女軽業の親方お角さんは、その真白な年増盛《としまざか》りの諸肌《もろはだ》をぬいで、
「今度の仕事は、わたしも一世一代というわけなんですからね、その思い出にひとつ、しっかり[#「しっかり」に傍点]やって下さいな。なあに、今までだってこれが嫌いというわけじゃなかったんですが、河童《かっぱ》のお角さんてのがあったでしょう、同じ名前ですから、気がさしてね。恥かしいっていう柄じゃありません、真似をしたように思われるのが業腹《ごうはら》でね。こう見えてもわたしゃ、真似と坊主は大嫌いさ。今までだってごらんなさい、そう申しちゃなんですけれども、人の先に立てばといって、後を追うような真似は決して致しませんからね。よその人気の尻馬《しりうま》に乗って人真似をして、柳の下の鰌《どじょう》を覘《ねら》うような真似は、お角さんには金輪際《こんりんざい》できないのですよ。ですから、今度だって、外《はず》れりゃあ元も子もないし、当ったところで嫉《ねた》みがあるから、身体をどうされるかわかったものじゃなし、どのみち骨になるつもりで乗りかかった仕事ですから、その思い出に素敵に大きな骸骨の骨《あたま》を一つ彫っていただきたいと、こう思いついただけなんですよ……何ですって、骸骨だけじゃ色が入らないから淋《さび》しいでしょうって? なるほど、それもそうですね。それじゃ、骸骨のまわりに燃えたつような大輪の牡丹《ぼたん》でも彫っていただきましょうか。なにぶんよろしく頼みます」
こういってお角が背中を向けたのは、そのころ名代の刺青師《ほりものし》、浅草の唐草文太《からくさぶんた》といういい男です。お角の刺青《ほりもの》が彫り進むと共に、回向院境内の小屋がけも進んで行くうちに、以前の広小路の女軽業の小屋の一部は、新しい一座の楽屋にあてられました。
そこには、従来の一座と別廓をつくって、大一座《おおいちざ》の新面《しんがお》が、雑然たる衣裳道具の中に、血眼《ちまなこ》になって初日の準備を急いでいる。
このいわゆる「切支丹」訂正「西洋」大奇術の一座の頭梁株《とうりょうかぶ》とも総支配人とも覚しいのは、頭のはげた五十|恰好《かっこう》の日本人で、白く肥った好々爺《こうこうや》ですが、ドコかに食えないところがあって、誰か見たことのあるような人相です。知っている者は知っているが、知らない者は知らない。この男は、たしか春日長次郎といって、先年、柳川一蝶斎の一行の参謀として西洋へ押渡ったはずの男であります。この男の指図で、準備と稽古に忙殺されている連中のな
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