捕えられた男装の婦人は、
「はい、小仏より上野原へまいる途中、駕籠《かご》を見失い、道に踏み迷うてこれへまいりました」
面《おもて》を伏せて柔順《すなお》に答えました。
「して、何用あって上野原へまいらるる。御身はいずれの御出生ぞ、うけたまわりたし」
「たずねる人があって、江戸を立ち出でてまいりました」
「男の装い召されしは何故ぞ」
「道中が心配になりますから……」
「さりながら、女性《にょしょう》の男装して関所を越ゆるは、国のおきての許さぬことを、知らぬ御身にてはよもあらじ」
「それは存じておりますけれど」
問われて窮する女の姿を、仮面の中より見下ろしていた猩々は、
「いかさまこれは、ことさらにわれらが楽しみをさまたげんとて来りしものとも思われねど、まずは詮議《せんぎ》の次第もあり。いかにおのおの、この女性を幕屋のうしろ、栗の大木の下へつなぎ置き、暫しの窮命をせさせたまえ。ただし、手荒に振舞いたもうなよ」
「畏まりて候」
こういって鬼の面をかぶった数名のものが男装の女――いうまでもないお銀様を引立てて、幕屋の背後《うしろ》へ連れて行きました。
そうして、猩々から命ぜられた通りに、栗の大木へ結《ゆわ》いつけましたけれども、特に手荒に振舞うべからずとの言葉添えが与《あずか》って力ありと見え、ただ、逃げられない程度に縛ったのみで、敷物まで持って来て坐らせました。
お銀様は、どのみち、怖ろしい目に遭うべき暫時の後を期待して、覚悟をきめてしまいました。それにしても、いよいよ合点《がてん》のゆかないのはこの一団の集まりであります。こうして、舞いつ歌いつ、よろこび楽しむ分には、さのみ世をはばかる必要はあるまいに、この山中へかくれて、そうして張抜きの大筒《おおづつ》をこしらえるわけではなし、謀叛《むほん》の相談をしているとも思われない。いかに世上おだやかならずといえども、神楽をするに、隠れ忍ぶ必要もあるまいではないか。ことに打見たところでは、それぞれ仮面をかぶり、立派な衣裳道具を備えている。なお一団のものの会話が、中古の雅文体をそのままで、どうかすると近代の訛《なま》りが入る。大将分らしい猩々の音声は、清く澄みわたって、水の滴《したた》るような若さがある。とはいえ、一団の人、いずれも仮面《めん》をかけているから、品格のほども、年配のほども、一切わからない。狐狸妖怪の世界
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