糸を引いているという説もあるが、益満それ自身もただ糸を引かれている人形ではあるまい。
 さいぜん、大手を振って門内に通過した四人の壮士、この席へ来ても無遠慮に一座の中へ、むんずと坐り込み、まず見て来たところの西洋の大魔術の披露、普通弁と薩摩弁でしかたばなしまでしての土産話《みやげばなし》は無難であったが、無難でないのはそれに続く自慢話であります。
 この四人の壮士どもは、今しも、大得意になって、本所の相生町から三田の四国町までの間の彼等の道草、その途方もない、いたずら[#「いたずら」に傍点]話を憚《はばか》る色なく並べ立てたことです。四カ所に放火して、ある所は大事に至らしめ、ある所は小事で終らしめたが、ともかくも人心を騒がして来たことを手柄顔に説明すると、それを興ありげに聞いていたものと、不足顔に聞いていた者とあって、
「ナーンだ、くだらぬ人騒がせ、つまらぬいたずら[#「いたずら」に傍点]、そうして下《した》っ端《ぱ》をおどかしてみたところが何だ。トテモやるなら、あの将軍の本丸まで届くほどの火を出せ。本丸から火を出して、グラついた江戸城の礎《いしずえ》を立て直すほどの火を出してみろ。小盗賊のやるようないたずら[#「いたずら」に傍点]はよせ」
と言ったものがあると、四人のなかの一人が抜からず、
「いずれそれをやって見せるが、今はその手習いじゃ」
 そこで、この一座の対話が、江戸城の本丸へ火を放《つ》ける、その実際の手段方法にまで進んで行ったのは怖るべきことです。この怖るべき相談が事実となって現われたのも、それから幾らも経たない後のことであります。それから彼等の巣窟たるこの四国町の薩摩屋敷が焼打ちになって、江戸を追われたことも、いくらもたたない後のことであります。

         五

 それはそれとして、再び前に戻って、ここにまだ疑問として残されているのが、両国の女軽業の親方お角の、このたびの、旗揚げの金主となり、黒幕となった者の誰であるかということで、これはその道の者の専《もっぱ》らの評判となり、またお角の知っている限りの人では、これを問題にせぬ者はなかったが、誰もその根拠を確《しか》と突留めたものがありません。
 神尾主膳や、福村一派の現在は到底、逆《さか》さにふる[#「ふる」に傍点]っても融通がつこうはずはなし、以前、柳橋に逗留《とうりゅう》していた時代の駒
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