ことができる。与八のこのごろは、熱心なる学問好きになっているところから、自分の周囲に群がる子供たちを見ると、どうもこのままでは置けないという気になって仕方がありません。見るところ、これらの子供たちは、自分の過去と同じように、なんらの教育を受けることも、受けさせる設備も出来てはいないようだ、どうかしてこの子供たちのために、寺小屋様のものを設けて、自分も共に学びたいものだと痛切に思いつきました。
そうかといって、自分には今それをする余裕もなければ、学問の力もない。そういう時に与八が、いつも思い出すのはお松のことであります。
「お松さんが来てくれればいいな」
と与八は、いつもそれを思い出すのですけれども、それはトテモ出来ない相談だと思いかえすのが常でありました。
ところが先日、相生町の老女の屋敷に久しぶりでお松をたずねてみたところが、お松もまた、思いがけない一人の子持ちとなっていて、おたがいに力を合わせて子供を育ててゆきたいというような話をしたことから、与八はその話を進めて、お松をここに呼び迎えてみたいと気が進みました。
ある日、与八は水車小屋から程遠からぬ主人の屋敷へ出向いて、ふと、物置同様になっている剣術の道場の前に立ちました。
机の家の屋敷は、定まる当主とてもありませんから、すべてにおいて、与八が監理人のようなものであります。親類の人が時々来ては見て行きはしますけれども、小さな城廓《じょうかく》ほどもある屋敷を、ともかく、これだけに手入れをしているのは、与八の働きといわねばなりません。
そこで与八が、剣術の道場の前に立って考えたのは、ひとしきり、この道場から、甲源一刀流の、音無しの構えなるものが起って、幾多の剣士を戦慄《せんりつ》させたという思い出でもありません。また、この道場から宇津木文之丞との争いが起って、それから黒い風が吹き、白い雨が降り出した今日までの一切の経過でもありません。その時代はもう過ぎてしまって、今、与八がこの道場の前に立った時、ふと思いついたのは、これを利用して、お松さんと共に、多くの子供をここへ集めて育ててみたいなという希望であります。
与八が道場の庭を掃いていると、そこへ突然姿を現わした旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]。
「少々、物をたずねたいが、机竜之助の道場はこれか」
「左様でございます」
与八は、箒《ほうき》をとどめて
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