うではなく、南の方へ向いて、ほどなく武州の高尾山へつきました。七兵衛は、高尾山の飯綱権現《いいづなごんげん》を信仰して、時々おまいりをしては護摩《ごま》を焚いてくることがある。七兵衛の飯綱権現信仰の心持はわかりませんが、ここへおまいりをするのは、今に始まったことではありません。
 本道から、登りにかかると、ちょうど入口のところへ人夫が大勢入って、しきりに大木を伐《き》り散らしていますから、七兵衛も思わず立ちどまって、
「おやおや、たいそう材木をお伐りなさるが、どうなさるんですか」
と人夫にたずねてみますと、人夫が、
「ここへ道を開いて、車を仕掛けようというんです」
「え、ここへ道をつけて車をしかけるんですか、道はこっちにいい道があるじゃありませんか」
「そっちの道は、そっちの道として置いて、別にこっちへつけようというんだ」
「なるほど……」
 七兵衛が仰いで見ますと、これからずっと山の上まで、さしもの大木を伐《き》り倒して行こうという計画らしいから、心なき七兵衛も惜しいものだという気になって、
「惜しいじゃありませんか、この大木をドンドンお伐りになっては……」
「よけいなことをいいなさんな」
 人夫頭が憎さげな眼で七兵衛を見ました。七兵衛は頓着せず、
「全く、これを伐ってしまうのは惜しうございますよ、なんとか工夫はないものですかな。第一車を仕掛けて、どうなさろうというんで……」
「そんなことは知らねえよ、おれたちは伐れというから、伐っているだけなんだ」
「なるほど……」
 七兵衛はなお立去らず、大木の森をながめていると、
「おいおい、邪魔になるから向うへ寄っていな」
 人夫頭が叱ります。七兵衛は二足三足、わきへ寄って、なお物惜しそうにながめていると、人夫たちが、からかうように、
「おい、お前さん、何かこの木を伐《き》って文句があるなら、、おれたちにいったって仕方がねえから、お宮へでも、お寺へでも尻を持って行きな。おれたちは、ここを伐れといえば、ここを伐るし、あすこを削れといえば、あすこを削る、おゆるし通りに仕事をしている分のことだぜ」
 そこで七兵衛は沈黙してしまいました。
 七兵衛のような心なき盗賊でさえも、これはあまり無茶なことだと思いました。この山は、お宮とお寺とで管理している山。お宮は樹木が御神体のようなもの。昔の出家は木を植えて山を荘厳《そうごん》にしたの
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