、捜《さが》してみたいものがあってのことじゃ、大儀だが、奥の書物庫へ案内してもらいたい」
「畏《かしこ》まりました、何ぞ、お書物でもお取出しになりますか」
「書物をさがしに来たのだ、急に読みたいことがあって……」
「では、早速御案内を仕《つかまつ》りましょう」
一学は、久しぶりで主人にあって、まだまだいいたいことが山ほどある気色《けしき》なのを、主人がむしろ、それを避けたがる様子と、ともかくも書物庫へ、急の用件があるらしいのとで、ぜひなく、提灯《ちょうちん》を用意し、預かりの鍵をたずさえて、この座敷を出かけました。
目的の書物庫は、駒井甚三郎が特に念を入れて建てさせたもので、駒井は、洋行する知己友人のあるたびに、かの地の書物の買入れを頼み、みやげとして寄贈された書物と共に、この庫に蓄えておきました。
いろいろの心持で、頭を混乱させながら案内に立った一学は、わが主人は、これまでどこに、どういう生活をしていたのだかわからないが、それでも、こうして駈けつけると、早々参考書の庫へおとずれることによって、主人の今の境遇がたとい逆境とはいいながら、逆転しているものでないことを想像して、心ひそかによろこんでいます。
幸いにして一学も、また好学の書生でありましたから、日頃の心がけも、おのずからこの書物庫の書棚の上に現われて、こうして不時の主人の検閲を受けるような結果になっても、あえて狼狽せずに案内することができたのみならず、いよいよ内部へ入って、整理の手際を見た時に、主人をして感謝せしむるほどの好成績を示し得たことを、自分ながらよろこばずにはいられません。
「感心に手入れの怠りがないのみならず、分類の方法が宜《よろ》しきを得ている」
といいながら、駒井は一学の手から提灯を受取って、汗牛充棟《かんぎゅうじゅうとう》の書物をいちいち見てあるきました。満足の色を面《おもて》にたたえて――
もし、管理者が一学でなかったら、この書物は、どうなっているか知れない。紛失はしていないまでも、散逸《さんいつ》はしていたろう。そうでなければ虫と鼠との餌食に供せられていたに相違ない。そして、駒井は提灯をふりてらして、自身に書棚の間を縫って歩きながら、めぼしい書物をいちいち抜き取りました。抜き取ったのを一学に渡すと、一学はいちいちその題目を読んでは取りそろえながら、少なからず奇異の念に打たれたこ
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