。またしても、こんなこと。お角は、いっそ匕首《あいくち》でも懐中して怒鳴り込み、刺し殺してやりたいほどに、お絹を憎み出しました。
 お絹にとってはいい迷惑で、お角が大事に保護(?)しているお銀様を逃がしたのが、お絹の仕業でないことは確かで、それは間違いなく金助というおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]の、よけいなお喋りがもとであるけれども、お角が一時にそう恨みをかけるのも、日ごろが日ごろだからぜひがないと申さねばなりません。また事実においても、もしお角がああしてお銀様を保護し、それを上手に利用することを知っていたなら、あの女は、きっと何か茶々を入れるくらいのことをやったのにちがいないのであります。
 こうして、お銀様を逃がしたのは、いちずにお絹の計略だと思い込んで、怒鳴り込んで刺し殺してやりたいほどに腹の立ったお角も、そこはさる者だから、怒りに乗じてあとさきの見えないことをやり出しはしません。
「梅ちゃん、今晩から、わたし一人で二階へ寝るから、下はお前に頼みますよ、淋しければお勢ちゃんでも誰でもお呼び」
といって二階の梯子《はしご》に足をかけると、お梅にはわからないから、
「お嬢様はいらっしゃらないのですか」
「ああ、お嬢様は今日からよそへおいでになったんだから、あとは、わたしが引受けるのさ」
といって、さっさと二階へ上ってしまいました。
 二階へ上って見ると、綺麗《きれい》に取片付けてあるのがよけいに腹が立つ。机の上の置手紙のしてあるのも、見るのが癪《しゃく》だ。
「わがままのやんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]者」
 戸棚をあけて見てもかわったことはない。お好み通りにととのえて上げた歌の本、読本《よみほん》、絵草紙の類まで耳をそろえてキチンとしている。
 藤の花を一面にえがいた大屏風《おおびょうぶ》を引きのけて見ると、手ぎわよくたたまれた縮緬《ちりめん》の夜具《やぐ》蒲団《ふとん》。
「お嬢様という人も、お嬢様という人じゃないか、子供じゃあるまいし、出るなら出るとことわってくださりゃ、いけないとはいいませんよ。ごらん、わたしたちはああして、下の方に、夜かぶりだってなんだって奉公人同様にして、お嬢様にはこの通り、何一つ不足という思いをさせて上げた覚えはないのに、いくらお嬢様だって、あんまり義理というものを知らな過ぎまさあ」
 これほどにして置いて逃げられた
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