に突き出すと、
「まあ」
と女は美しい眉根《まゆね》を寄せて、
「痛みますか、どうしてこんな怪我をなさいました」
「この間あるところで」
「お転びになったのですか」
「いいえ」
「それでは戸の間へ、はさまれたのでしょう、あれはあぶないものです」
「そうでもありません」
「巻いて上げましょう」
 女――この兵馬の馴染《なじみ》になっている万字楼の東雲は、兵馬の手から繃帯の一端を受取って、軟らかな手で結びはじめました。
「宇津木さん」
 手際よく繃帯を巻きながら女は、やさしく問いかけますと、
「何です」
「あなたは、隠していらっしゃいますね」
「何を」
「何をとおっしゃって、あなた、このお怪我は、ただのお怪我ではありません」
「ただの怪我でないとは?」
「よく存じておりますよ、あなた様のお連れの方々のお噂《うわさ》では、あなたはお若いけれども、たいそう武芸がお出来なさるそうではございませんか」
「なにも、出来はしないよ」
「いいえ、お出来になることはよくわかっています、そのあなた様が、たとい、これだけにしても、手傷をお負いになるのは、よくよくのことでございます」
「そういうわけではないのだ」
「ほほ、そういうわけとおっしゃっても、まだそのわけを言わないじゃありませんか、あたし、最初から、あなた様の御様子のおかしいことを、ちゃんと見ておりました」
「ふむ」
「あなたは斬合いをなすっておいでになったのでしょう、あなたほどの方ですから、きっと先の人を斬っておしまいになって、その時に受けた手傷がこれなんでしょう、わたしはそう思います」
「そうではない、ちょっとした怪我だ」
 兵馬は極めて怪しい打消しをすると、女はこの怪我をした指先を、ちょっと握って、
「にくらしい」
「ああ痛ッ」
 兵馬はほんとうに痛かったのです。
「弱い人ですね、そんなことでは仇《かたき》は討てませんよ」
 東雲はあやなすようにいったのを、兵馬はかえって意味深く聞いて、
「全く……」
 東雲はしげしげと兵馬の面《おもて》を見直しました。この女は兵馬が仇を持つ身であることを、まだ知らないのです。
「それでは隠さずにいってしまおう、いかにもこの傷は人から受けた傷なのだ、しかし、斬合いをして斬られた傷ではない、人から打たれた傷なのだ……傷は僅かながら、残念でたまらないのは、受けなくともよい傷を、無理に受けたようになる鍛練の未熟が恥かしいのじゃ」
 兵馬は心から残念がって、その時のことを眼に見るように思います。
 尺八を持って月下にさまようていた人。それを普通の虚無僧《こむそう》だと思って、その右を通り抜けようとした時に、その虚無僧が尺八を振り上げて、風を切って打ちこんで来たのを、かわすにはかわしたが、充分にかわしきれないで、この指先を砕かれた。その不鍛練が今になっても恥かしい。相手の虚無僧の只者でないことが思われてならぬ。それ故に、この傷が一層痛んで寝られない。それともう一つ……兵馬は改めて女に向い、いとまじめに、
「今日は暇乞いのつもりで来ました。それについて、そなたへ打明けてのお願いがある、とりあえずここへ僅かながら金子《きんす》を持参致した、拙者《わし》の帰るまで、五日か長くて十日の間、これをそなたに預っておいてもらいたい、それと共に、その間はそなたの身に変りのないように、そなたはこの万字楼を動かないように起請《きしょう》をしてもらいたいのだ」
といって兵馬は、蒲団《ふとん》の下に置いた一包の金子を取り出して、東雲の前に置きました。
「まあ、足もとから鳥の立つように。旅にお出かけなさるのですか……そうしてこのお金を、わたしに預かれとおっしゃるのは?」
「かねがね話してもおきました通り」
 兵馬は思い切って語り出でようとする時、廊下に人の歩む音があって、
「東雲さん、東雲さん」
「はい」
 その声を聞くと女が、そわそわと立ち上り、
「少しの間、待っていて下さい」
 にっこり[#「にっこり」に傍点]と愛嬌を見せて行ってしまいました。

 その翌日、結束して江戸を離れて、例の甲州街道の真中に立った宇津木兵馬。
 今夜こそは、と思い切って出かけてみたが、宵《よい》のうちは人に妨げられ、ようやく打解けて物語りにかかろうとする時、また人に呼ばれて女は行ってしまった。そのまま、ついに思いを遂げずして楼を出たのは昨夜のこと。
 それがいかにも残り惜しいのである。とはいえ、もう自分があの女を人手に渡したくないという心は、よく通じているはずである。さればこそ女の手許に預けた一包の金、事情は語り残したけれども、それが何を意味しての金だか、女が充分に推量している、と兵馬は、それを自ら慰めつつ、歩くともなく歩いているのです。
 その時、女に預けた金。どうして彼は今の浪々の少年の身でそれを得たか。それはまさしく南条力の手から出でたもの。
 南条力は、絶えず自分の仕事の邪魔者である山崎譲を亡きものにしたいと思っている。南条の心持では、あえて山崎一人を敵とするのではないけれど、この男あるがために、ややもすれば大事の裏をかかれようとする。それが苦手で、ついに宇津木兵馬を唆《そその》かした。
 兵馬とても、理由なしに唆かされて、それに応ずるほどの愚か者でなし、ことに山崎は京都にいた時分には、同じ壬生《みぶ》の新撰組で、同じ釜の飯を食った人である。唆かされて討つ気になるほど兵馬もうつけ[#「うつけ」に傍点]者ではないはずなのに、ついにそれを引受けてしまったのは、誰のためでもない女のためです。知らず識らず陥《はま》り込んだ女が、他《あだ》し人の手に身受けされようとする噂を聞き込んで、矢も楯もたまらずに、彼は南条の勧誘に従いました。そうして彼は、四谷の大木戸に待受けて山崎を斬ったのです……ところがそれは当の相手ではなくて、名もない、罪もない、飛脚の男であった。兵馬は慚愧《ざんき》と煩悶《はんもん》とを重ねて、もはや南条に合わす面《かお》はないと思い込んでいたのに、南条の方は案外|磊落《らいらく》で、兵馬に力をつけて、もう一遍やれという。山崎はいま甲州街道を上っている。多分駒木野の関以東のいずれかで彼の姿を見出すに違いない、といって兵馬に一封の金を与えた。昨夜吉原へ携えて来たのはその金です。ここ数日の間に山崎を斬ってしまえば、かの女を自由の身にするだけの融通は、南条の手で保障がついていると見てよい。
 兵馬はこうして、山崎譲を斬りに行く。彼を斬ることは必ずしも難事とは思っていないが、彼を斬るの理由を見出すことに苦しんでいるのです。意義のない仕事には必ず苦悶がある。いかに有利な条件も、その苦悶を救うに足らないことに悩まされている。
 頭を挙げて見ると、秋の武蔵野には大気が爽やかに流れて、遥かに秩父の連山。その山々を数えて見ると、武州の御岳山《みたけさん》。
 そこで流した兄の血潮はまだ乾いてはいないのに、その恨みは決して消えてはいないのに、それを差措《さしお》いて、自分は今、意趣も恨みもない人を斬ろうとして行くのだ。兵馬は浅ましく思って、われと自分の胸を強く打ちました。
 宇津木兵馬は、まだ日脚《ひあし》のあるのに府中の町へ入ると、そのまま六所明神の神主|猿渡氏《さるわたりし》の邸を叩きます。
 猿渡氏の家は、兵馬にとっては旧知の関係があって、兵馬の不意の来訪を喜び、それからそれと話が尽きませんでした。
 そのうちに、このごろは世の中が物騒で、この界隈《かいわい》も穏かでないから、今この社務所でも、若い者だの、剣術の出来る人だのを十余人も頼んであって、警護を怠らないということもありました。六所明神は所領の高も少なくはない。猿渡氏もなかなか裕福を以て聞えた家ですから、その用心ももっともと思います。
 風呂に入り、夕飯も済み、いざ寝ようという場合に、兵馬はちょっと宿《しゅく》へ用足しに行って来るといって、邸を出て夜番の詰所になる社務所へ、下男に案内をしてもらいました。
 なるほど、そこには火鉢を囲んで、七八人の人が集まって雑談に耽《ふけ》っています。下男の紹介で兵馬は一座に仲間入りをする。一座の中の浪人者のようなのが得意になって、
「いや、その前の晩じゃ、拙者が、陣街道を三千人まで来た時分に、河原のまん中に当って異様の物の音がする、はて不思議と耳をすましていると、それが琵琶の音《ね》じゃ」
 この浪人者は、むしろ新来の兵馬に聞かせるつもりで、兵馬の横顔を見ながら語り出でました。
「へえ、河原で琵琶が聞えましたかね」
とそれにあいづちを打ったのは兵馬ではなく、力自慢で頼まれた若い者。
「たしかに琵琶が聞えたよ、聞ゆべからざるところで琵琶の音がしているから、拙者も不審に思って、立ちどまって耳を傾けている間に、例の人馬の音で、この町が物騒がしくなったから急いで駈けつけたのだが、なんにしても、あの陣街道は鬼哭啾々《きこくしゅうしゅう》というところである」
「鬼哭啾々というのは何です」
 誰かが抜からず反問したのを、浪人は無雑作に、
「それはお化けの出そうなものすごいところという意味だ。何しろ、分倍河原《ぶばいがわら》はむかし軍配河原といって、何十何万の兵士が火花を散らして合戦をしたそのあとだ、陣街道の首塚と胴塚、それに三千人というのは、元弘より永享にかけて討死した三千人を葬ったところだから、今でもその魂魄《こんぱく》が残って遊びに出る。あの琵琶の音も、たしかに魂魄の致すところに相違ない、こちらに不意の騒動が起ったため、よくその根原を見届けなかったのが残念じゃ」
 兵馬は、それを聞いてしまってから、この座を立って寝に行くかと思うとそうではなく、まもなく番屋の門を出でた兵馬は、身には饅頭笠《まんじゅうがさ》と赤合羽で、片手には「六所明神社務所」の提灯を持ち、片手には夜番の者が持つような六尺棒をついて、刀脇差は合羽の下に隠し、木馬《もくば》から御宮《おんみや》、本社を一廻りして、一の鳥居から甲州街道の本通りへ出で、両岸に賑わしい府中の宿の真中を悠々と通りましたが、誰も怪しむ者がありません。
 兵馬が誰にも怪しまれなかったのは、左巴《ひだりどもえ》の紋のついた六所明神の提灯のおかげです。
 笠と合羽を用意して出たのは、空模様をもしやと気遣ったのみでなく、それが身を隠すに都合がよかったからで、ことに長い刀は見えないようにと苦心して、悠々と府中の宿を西へ一通り歩み抜けて裏へ出ました。
 裏へ出るとまもなく、問題の分倍河原です。河原一面に離々《りり》とした草叢《くさむら》。月のあるべき空が曇っていて、地上はボーッとして水蒸気が立てこめているから、さながら朧夜《おぼろよ》の中を歩んで行く気持です。
 鬼哭啾々のところ、ここで前の晩、時ならぬ琵琶の音が聞えたと、さいぜんの浪人者がいいました。兵馬は河原道を陣街道の方へ出ようとして、そぞろに進んで行くと、河原の中に一つの大きな塚がある。三千人の塚というのは多分これか知らと、兵馬は塚の下にたちどまって、四方《あたり》を見廻すと、やはりボーッと立てこめた靄《もや》の中に、自分ひとりが茫々《ぼうぼう》と置き捨てられている光景です。
 その時に兵馬は、自分が今までとはまるで別の世界へ持って来られたように感じて、画中の人という気分にひたってみると、なんだか知らないが、犇々《ひしひし》として悠久なる物の哀れというようなものが身にせまってくるのを覚えて、泣きたくなりました。
 ここは武蔵の国府の地。東照公入国よりもずっと昔、平安朝、奈良朝を越えて、神代の時に遡《さかのぼ》るほどの歴史を持った土地。江戸の都が、茫々として無人の原であった時分に、このあたりは、直衣狩衣《のうしかりぎぬ》の若殿《わかとの》ばらが、さんざめかして通ったところである。源頼朝はここへ二十万騎の兵を集めたそうな。新田義貞と北条勢とは、ここを先途と追いつ追われつしていた。足利尊氏が命|辛々《からがら》逃げたあともここを去ること遠くはない。英雄豪傑の汗馬《かんば》のあとを、撫子《なでしこ》の咲く河原にながめて見ると、人は去り、山
前へ 次へ
全34ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング