も、あとで私たちの心持はわかるのだから、いっそ、そうしてしまった方がよいだろうと思う。茂ちゃん、お前逃げ出す気はないかえ」
「弁信さん、お前が逃げようと言うんなら、あたいも逃げる」
「それじゃあ逃げることにしようよ、それもなるべく早い方がいいから、今晩逃げることにしようよ」
「あたいはいつでもいいけれど、逃げるって、お前どこへ逃げるの」
「逃げる先は、わたしがちゃんと考えてあるから心配をおしでない」
「もう、小金ヶ原じゃあるまいね」
「まさか、二度とあそこへ逃げられるものかね、今度は全く方角を変えて、いいところを考えてあるんだから心配をしなくってもいい。それでね茂ちゃん、もう一つ相談だが、お前、ここでいっそわたしと同じように、坊さんになってしまう気はないかえ」
「頭を丸くするの、なんだかイヤだなあ」
「イヤなものを無理にとは言わないけれど、向うへ行って長くいるようなら、そうしておしまいよ」
「そりゃあ、お前、都合によっちゃあね、坊さんになってもいいけれども、いま直ぐじゃきまりが悪いよ」
「いま直ぐでなくってもいいのよ、その心持でいてくれればいいの」
「そうして、お前、逃げて行く先はどこなの」
「それはねえ、これから甲州街道を上って行くと、甲州境に高尾山薬王院というお寺があるのよ、そこへ逃げて行こう」
「お前、そのお寺と懇意なの」
「そのお寺に、昔わたしに琵琶を教えてくれたお師匠さんが、御隠居をなさっていらっしゃるということを思い出したんだよ」
「それはよかったね」
「そんなに遠いところじゃないのよ、ここから十五六里ぐらいのものでしょう。茂ちゃん、お前は足が達者だし、わたしは眼が見えないけれども、旅をすることは平気だから、十里や二十里はなんともありゃしないね」
「十里や二十里、なんともないさ」
「それじゃお前、今夜、人が寝静まってから逃げ出すことにしようよ。先生はお帰りになるかならないか知れないけれど、どちらにしてもあの通り酔っぱらっておいでなさるから、夜中に眼をおさましなさるようなことはないけれど、国公さんに気取《けど》られないように気をつけて下さい」
「ああ」
「そのつもりで、あたしは草鞋《わらじ》をちゃあんと買っておきました、少し大きいけれども、茂ちゃん、お前もこれをお穿《は》き」
「有難う」
「お小遣《こづかい》は、あたしが持っているのを、お前にも分けて上げるよ」
「有難う」
「裏のくぐりから出ることとしましょう。夜中に、あたしが時分を見計らってお前を起すから、それまではゆっくり休んでおいで」
「ああ、あたいはそれまで休んでいるけれど、弁信さん、お前寝過ごしちゃいけないよ」
「大丈夫」
「弁信さん、お前の前だけれどね、あたいはお寺はあんまり好きじゃないのよ、清澄にいる時だって、ずいぶん頑入《がんにゅう》にいじめられたからなあ」
「ああ、そうそう、頑入はずいぶんお前を苛《いじ》めたっけね。けれどもね、頑入の方から言えば無理もないところがあるんだよ、お寺へ入れられてもお前は、少しもおとなしくないんだもの、そうして人の嫌いな虫や獣とばかり遊んでいるんだもの。頑入はお仕置のつもりであんなことをしたんだから、頑入ばかりが悪いと思っているとお前、了見《りょうけん》が違うよ」
「高尾の山には、頑入みたような坊さんはいないだろうなあ」
「そりゃいないだろうけれど、お前、おとなしくしなくちゃいけないよ」
「山へ行きたいなあ」
「山はお前、房州よりもあっちの方が本場だから、ずいぶんいい山がたくさんあるだろう、峰つづきを歩くと、甲斐の国や信濃の国の山へまでいけるんだからね、それを楽しみにしてお前、早くお寝よ」
 二人はここで相談をととのえて、おのおの眠りに就きました。果してその翌日になると、道庵の屋敷にこの者共の影が見えません。そこで、さすが呑気《のんき》な道庵主従も騒ぎ出して見ると、二人の寝た行燈《あんどん》の隅に置手紙がしてあります。それを読んだ道庵が大きな声をして、
「べらぼうめ、逃げるなら逃げるでいいけれど、道庵の家は食物が悪いから居堪《いたたま》らねえの、やれ人使いが荒いから逃げ出したのと、よそへ行って触れると承知しねえぞ」
と言ってプンプン怒ってみたけれども、別にあとを追っかけろとも言いませんでした。ともかくも相談の通りに道庵屋敷を落ちのびた二人の者は、真夜中の江戸の市中をくぐり抜け、弁信は例の琵琶を頭高《かしらだか》に負いなし、茂太郎は盲者の手引をして行く者のように見えましたから、さのみ怪しむものもありません。
 上高井戸あたりで夜が明けました。それから甲州街道の宿々を、弁信法師は平家をうたって門附《かどづけ》をして歩きます。
 茂太郎はその手引のつもりで先に立っていたが、弁信の語る平家なるものが、なにぶん俚耳《りじ》に入らないで困ります。
 祇王祇女《ぎおうぎじょ》を淋《さび》しく歌っても、那須の与市を調子高く語り出しても、いっこう家並の興を惹《ひ》きません。道行く旅人の足をとどめることもできません。
 ある時は、祭文語《さいもんかた》りのために散々《さんざん》に食われて、ほうほうの体《てい》で逃げました。
「弁信さん、お前の平家は、根っから受けないねえ」
 府中の六所明神に近い大きな欅並木《けやきなみき》の下で、一休みした時に、さすがの茂太郎も、弁信法師の平家物語なるものに、そぞろ哀れを催してしまいました。
 ところが、弁信法師はそれほどにはしょげておりません。
「ねえ、茂ちゃん、平家というものは、本来流して歩くように出来ていないのだからね。お江戸の真中だってお前、平家を語って歩いて、それを聞いてくれる人は千人に一人もありゃしないよ。だからなるべくよけいの人に聞いてもらいたいと思うには、これじゃ駄目なんだよ。それで、あたしは琵琶をやめて三味線にし、平家の代りに浄瑠璃《じょうるり》をやってみたいと、ずっと前からそのつもりでいたけれどもね、気に入った三味線が手に入らないし、それから浄瑠璃もまだ人様の前で語れるほどに出来ていないから、やっぱり、まだこうして手慣れた琵琶をやっているのよ」
「だからお前、琵琶をやめて、急いで歩いた方がいいだろう」
「それでもねえ、黙って道を歩くよりは、何かの縁になるものだから、やっぱり、あたしは知っていることは人様に伝えた方がよかろうと思ってよ。人様があたしをお喋《しゃべ》りだという通り、あたしは知っているだけのことはみんな喋ってしまいたいし、聞いてくれ手があってもなくっても、覚えているだけの平家は語ってしまいたいのが、わたしの性分なんでしょう。それについて、ここはお前、武蔵の国の府中の町といって、この府中の町にはお六所様というのがあって、これが武蔵の国の総社になっているのです。あたしは今晩、そのお六所様のお宮の前で、平家を語ってお聞かせ申したいと思っていますよ。昨夜は十五夜でしょう、今夜は十六日ですからね、いざよい[#「いざよい」に傍点]のお月様をいただいて、あたしの拙《まず》い琵琶を神様へ奉納をして上げたいと思って、さいぜんからそのことを考えて来ました。日が暮れて月が上る時分まで待って、そろそろお六所様のお庭へ行ってみましょうよ」
 欅の根に腰をかけた弁信が、こんなことを言い出したから茂太郎も、さすがにその悠長に呆《あき》れました。呆れながらまた弁信らしい願いであると思いました。
「弁信さん、お前がその気なら、あたいだっていやとは言わないよ」
 この二人は、木茅《きかや》に心を置く落人《おちうど》のつもりでいるのか、それとも道草を食う仔馬《こうま》の了見でいるのか、居候から居候へと転々して行く道でありながら、こし方も、行く末も、御夢中であるところが子供といえば子供です。
 陰暦十六日の月があがった時分に、この二人は相携えて、武蔵の国の総社、六所明神の社の庭へわけいりました。

         八

 六所明神の前にむしろを敷いて弁信法師は、ちょこなんと跪《かしこ》まり、おもむろに琵琶を取り上げてキリキリと転手《てんじゅ》を捲き上げると、その傍らに介抱気取りで両手を膝に置いて、端然と正坐しているのが清澄の茂太郎です。
 こっそりと入って来たから、誰も知る者はありません。
 あらかじめ二人の間に約束があったと見えて、琵琶はただちに曲に入りました。その弾奏は自慢だけに、堂に入《い》ったところがあります。大絃《だいげん》は※[#「口+曹」、第3水準1−15−16]々《そうそう》として、急雨のように響かせるところは響かせます。小絃《しょうげん》は切々《せつせつ》として、私語のように掻き鳴らすところは鳴らします。宮商角徴羽《きゅうしょうかくちう》の調べも、乱すまじきところは乱さずに奏《かな》でます。
 果して、弁信法師が、琵琶を弾かせて名人上手といえるかどうかは疑問だけれども、ごまかし[#「ごまかし」に傍点]を弾かないことだけは確かのようで、曲に第五の巻の月見を選んだことは、如才ないと見なければなりません。
[#ここから1字下げ]
「旧《ふる》き都は荒れゆけど、今の都は繁昌す、あさましかりつる夏も暮れて、秋にも既になりにけり、秋もやうやう半ばになりゆけば、福原の新都にましましける人々、名所の月を見むとて、或ひは源氏の大将の昔の路を忍びつつ、須磨《すま》より明石《あかし》の浦づたひ、淡路《あはぢ》の迫門《せと》を押しわたり、絵島が磯の月を見る、或ひは白浦《しろうら》、吹上《ふきあげ》、和歌の浦、住吉《すみよし》、難波《なには》、高砂《たかさご》、尾上《をのへ》の月の曙《あけぼの》を眺めて帰る人もあり、旧都に残る人々は、伏見、広沢の月を見る……」
[#ここで字下げ終わり]
 弁信は得意になって旧都の月見を語りました。前にいうようにこの盲法師が、琵琶にかけて名人上手であるかどうかは疑問ですけれども、月夜の晩に、月見の曲を選んで、古今の名文をわがもの面《がお》に清興を気取らず、かなり無邪気な子供らしい声で語るから、人をして声を呑んで泣かしむるほどの妙味はなくとも、聞いていて歯の浮くような声ではありません。
[#ここから1字下げ]
「中にも徳大寺の左大将実定の卿は、旧き都の月を恋ひつつ、八月十日あまりに福原よりぞ上り給ふ、何事も皆変りはてて、稀に残る家は門前草深くして庭上露|茂《しげ》し、蓬《よもぎ》が杣《そま》、浅茅《あさぢ》が原《はら》、鳥のふしどと荒れはてて、虫の声々うらみつつ、黄菊紫蘭の野辺とぞなりにける、いま、故郷の名残りとては、近衛河原の大宮ばかりぞましましける」
[#ここで字下げ終わり]
 弁信法師は得意になって、この妙文《みょうもん》をほしいままに語って退けました。
 不思議なもので、こうなって来ると、東夷《あずまえびす》の住む草の武蔵の真中の宮柱に、どうやら九重《ここのえ》の大宮の古き御殿の面影《おもかげ》がしのばれて、そこらあたりに須磨や明石の浦吹く風も漂い、刈り残された雑草のたぐいまでが、大宮の庭の名残りの黄菊紫蘭とも見え、月の光に暗い勾欄《こうらん》の奥からは緋《ひ》の袴をした待宵《まつよい》の小侍従《こじじゅう》が現われ、木連格子《きつれごうし》の下から、ものかわ[#「ものかわ」に傍点]の蔵人《くらんど》も出て来そうです。
 ただ、琵琶を抱えている弁信法師だけが、どう見直しても徳大寺の左大将とは見えないとは言え、あまり喋り過ぎた時は小憎らしいほどな小坊主が、この時は、いかにもしおらしい月下の風流者であります。風流者というより敬虔《けいけん》なる礼拝者のように見えました。
 茂太郎もまた、しんみりとして、両手をちゃんと膝に置いたままに、神妙に聞き惚れているのに。どうでしょう、心なき御輿部屋《みこしべや》の後ろから姿を見せた白丁《はくちょう》の男が、いきなり長い竿を出して、
「おい、誰だい、そこでピンピンやってるのは誰だい、誰にことわってそんなことを始めた、誰の許しを得て歌なんぞをうたうんだい」
 闇の中からがなり出したので、せっかく浮き出した情景が、すっかり壊されました。

前へ 次へ
全34ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング