「ほほ、そういうわけとおっしゃっても、まだそのわけを言わないじゃありませんか、あたし、最初から、あなた様の御様子のおかしいことを、ちゃんと見ておりました」
「ふむ」
「あなたは斬合いをなすっておいでになったのでしょう、あなたほどの方ですから、きっと先の人を斬っておしまいになって、その時に受けた手傷がこれなんでしょう、わたしはそう思います」
「そうではない、ちょっとした怪我だ」
 兵馬は極めて怪しい打消しをすると、女はこの怪我をした指先を、ちょっと握って、
「にくらしい」
「ああ痛ッ」
 兵馬はほんとうに痛かったのです。
「弱い人ですね、そんなことでは仇《かたき》は討てませんよ」
 東雲はあやなすようにいったのを、兵馬はかえって意味深く聞いて、
「全く……」
 東雲はしげしげと兵馬の面《おもて》を見直しました。この女は兵馬が仇を持つ身であることを、まだ知らないのです。
「それでは隠さずにいってしまおう、いかにもこの傷は人から受けた傷なのだ、しかし、斬合いをして斬られた傷ではない、人から打たれた傷なのだ……傷は僅かながら、残念でたまらないのは、受けなくともよい傷を、無理に受けたようにな
前へ 次へ
全338ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング