とさしこんである。がんりき[#「がんりき」に傍点]は手を伸ばして鮎を一串抜き取って、少しばかり火にかざして炙《あぶ》ってみると、濁りでもいいから一杯飲みたくなりました。
 酒はおやじの蓄えを知っている。自在につるした鉄瓶も燗《かん》のしごろに沸いている。左の手を上手にあしらって少しばかり働いて、それから、さいぜん親爺が寝ていた空俵の畳へみこしを据《す》えてしまって、燗の出来るのを待っているうちに、何か思い出して、
「南条先生も、ずいぶん人が悪いや」
とつぶやいてニヤリと笑う。
 それから手酌《てじゃく》で、一ぱい二はいと重ねているうちに、いい心持になって、そのまま、うとうとといど[#「いど」に傍点]寝《ね》をはじめてしまいました。いつか知らないうちに、おやじの寝床にもぐり込んで一夜を明してしまったが、夜中におやじの帰った様子もなし、焚火にくべてあった松の切株が頻《しき》りに煙を立てて、剣菱《けんびし》の天井から白々と夜の明け初めたのがわかります。
 何かしら、昨夜、この男、相当のいい夢でも見たものか、寝起きの機嫌がそれほど悪くはなく、
「南条先生も人が悪いが、がんりき[#「がんりき」に
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