かげ》がしのばれて、そこらあたりに須磨や明石の浦吹く風も漂い、刈り残された雑草のたぐいまでが、大宮の庭の名残りの黄菊紫蘭とも見え、月の光に暗い勾欄《こうらん》の奥からは緋《ひ》の袴をした待宵《まつよい》の小侍従《こじじゅう》が現われ、木連格子《きつれごうし》の下から、ものかわ[#「ものかわ」に傍点]の蔵人《くらんど》も出て来そうです。
ただ、琵琶を抱えている弁信法師だけが、どう見直しても徳大寺の左大将とは見えないとは言え、あまり喋り過ぎた時は小憎らしいほどな小坊主が、この時は、いかにもしおらしい月下の風流者であります。風流者というより敬虔《けいけん》なる礼拝者のように見えました。
茂太郎もまた、しんみりとして、両手をちゃんと膝に置いたままに、神妙に聞き惚れているのに。どうでしょう、心なき御輿部屋《みこしべや》の後ろから姿を見せた白丁《はくちょう》の男が、いきなり長い竿を出して、
「おい、誰だい、そこでピンピンやってるのは誰だい、誰にことわってそんなことを始めた、誰の許しを得て歌なんぞをうたうんだい」
闇の中からがなり出したので、せっかく浮き出した情景が、すっかり壊されました。
「
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