んだからね、それを楽しみにしてお前、早くお寝よ」
 二人はここで相談をととのえて、おのおの眠りに就きました。果してその翌日になると、道庵の屋敷にこの者共の影が見えません。そこで、さすが呑気《のんき》な道庵主従も騒ぎ出して見ると、二人の寝た行燈《あんどん》の隅に置手紙がしてあります。それを読んだ道庵が大きな声をして、
「べらぼうめ、逃げるなら逃げるでいいけれど、道庵の家は食物が悪いから居堪《いたたま》らねえの、やれ人使いが荒いから逃げ出したのと、よそへ行って触れると承知しねえぞ」
と言ってプンプン怒ってみたけれども、別にあとを追っかけろとも言いませんでした。ともかくも相談の通りに道庵屋敷を落ちのびた二人の者は、真夜中の江戸の市中をくぐり抜け、弁信は例の琵琶を頭高《かしらだか》に負いなし、茂太郎は盲者の手引をして行く者のように見えましたから、さのみ怪しむものもありません。
 上高井戸あたりで夜が明けました。それから甲州街道の宿々を、弁信法師は平家をうたって門附《かどづけ》をして歩きます。
 茂太郎はその手引のつもりで先に立っていたが、弁信の語る平家なるものが、なにぶん俚耳《りじ》に入らない
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