江戸三界では融通が利《き》かなくなったということで、それがおのずからこの男を謹慎にし、多少、謹慎の味がわかってみると、遅蒔きながら、生涯を蒔き直そうかという気にもなってみ、寺僧に就いて、多少、禅学の要旨を味わってみたり、茶や、生花の手ずさみを試みてみたり、閑居しても、必ずしも不善を為さぬような習慣になっているのです。
 しかし、これとても、本心から左様に発心《ほっしん》して精進《しょうじん》しているわけではなく、事情しからしめた故にそうなったので、この事情が除かるるならば――たとえば面の傷が癒着《ゆちゃく》するとか、財政の融通が利いて来るとかいうことになれば、また逆転しないという限りはないが、今のところではその憂いはなく、それで、附近の旧知行所の人々は質朴で、殿様扱いに尊敬するものだから、満足はしていないながらも、無聊《ぶりょう》に堪えられないということはなく、どうかすると斯様な生活ぶりに、自然の興味をさえ見出すこともあるのです。
 今宵は月が佳《い》いからというので――大中寺とは背中合わせになっている大平山《おおひらやま》の隠居から招かれて、碁打ちに参りました。
 この隠居も大中寺へ
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