しか、老杉の境を出でて樺木科《かばのきか》の密林をよぎると、そこから、すすき尾花の大見晴らしの頭が現われます。
「すっかり晴れちまったね。いいお月見ですよ、旦那様」
 駕籠屋がいい心持で天を仰いで、雨あがりの雲間の冴《さ》えた月をながめて、その気分をいささかながら駕中《がちゅう》の人に伝えようとする好意で、
「ここのお月見は格別ですね、何しろ十二カ国が一目で見渡せるんですからね」
 駕籠は、すすき尾花の大見晴らしを徐々《しずしず》と押分けて進むと、五十丁峠のやや下りになります。少しく下ってまた蜿蜒《えんえん》として、すすき尾花の中に見えつ隠れつ峰づたいに行く道が、すなわち小仏の五十丁峠。もし昼間にこれを通るならば、身の丈を蔽《おお》いかくすほどの、すすき尾花の路のつい足もとから、バタバタと雉子《きじ》や山鳥が飛び出して、幾度か旅人を驚かすのですが、夜はすべての鳥が、その巣に帰っていると見えて、悠長な駕籠屋を驚かすほどの物音もなく、五十丁峠を七八丁ほど来て、また小高い峰の頂にかかった時、
「向うのあの松林の中で、変な火の色が見えたぜ」
「え、松林の中で?」
 二人の駕籠屋はいい合わせたよ
前へ 次へ
全338ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング