とき私は、ほろほろと啼《な》く山鳥の声聞けば、父かとぞ思う母かとぞ思う、のお歌を思い出しまして、この見えぬ眼から、しきりに涙をおとしたことでございます。私共の心眼さえ開いておりますならば、山鳥の音を聞きましても、まことの父と母との御姿を拝むことができましょうのに、小器劣根の私には、それができませんのかと思うと…‥」
 弁信法師は、ここに至ってハラハラと泣いてしまいましたが、やがて涙を払って、
「斯様《かよう》なお喋りはやめにいたしまして、いかがでございましょう、お邪魔にならなければ、拙《つたな》い琵琶の一曲を奏《かな》でてお聞きに入れましょうか」
 誰に話しているのだか、誰が聞いているのだか知らないが――また、これから誰に聞かせようというつもりか知らないが、弁信法師は、琵琶をかかえて縁に立ち出でました。
 そこで調子を合わせにかかると、葉鶏頭《はげいとう》の多い庭先から若い娘が、息せききって駆け込んで来て、
「弁信さん、大変が出来ました」
「エ、お雪さん、大変とは何でございます」
 弁信は琵琶の調子を合わせていた手をとどめると、娘は、
「先生はおいでですか……あの、姉が殺されましたそう
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