から、頼まれもしないのに持ち込んで来たものさ」
「それは耳よりの話ですねえ」
 お角は乗気になってしまいました。
「詳しい話は拙者のところへやって来給え、小石川の茗荷谷《みょうがだに》で、切支丹坂《きりしたんざか》を上って、また少し下りると、長屋門のイヤに傾《かし》いだのが目安だ……」

         十九

 両国橋の女軽業の小屋を出た御家人くずれの福村は、帰りがけに通油町《とおりあぶらちょう》の鶴屋という草紙問屋《そうしどんや》へ寄って、誰へのみやげか、新版の錦絵を買い求めながら、ふと傍《かたえ》を見ると、お屋敷風の小娘が一人、十冊ばかりの中本《ちゅうほん》の草紙を買い求めて、それを小風呂敷に包んでいるところであります。
 まず、その小風呂敷に目がつくと、紫縮緬《むらさきちりめん》のまだ巳《み》の刻《こく》なのに、五七の桐が鮮かに染め抜いてあります。はて、物々しい、と福村はそれに目を奪われて、いま包もうとする草紙を覗《のぞ》いて見ると、上の一揃いは「常夏《とこなつ》草紙」、下のは「薄雪《うすゆき》物語」、どちらも馬琴物と見て取りました。
「さようなら」
 代を払って、娘が店頭《
前へ 次へ
全338ページ中138ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング