、松の木立の隙間《すきま》から、晴れた空をながめやり、暫くその空の色に見恍《みと》れていたようでしたが、やがて、思い出したように煙管《きせる》をハタハタとはたくと、再び立ち上って、例の小鍬を無雑作に拾い上げ、いま自分が坐っていたところから二尺ほど離れた大地の上へ、軽くその鍬先を当てたものです。
七兵衛はここへ、何物かを掘り出しに来たものに相違ない――この男は改めて説明するまでもなく、極めて足の迅《はや》い奇怪な盗賊であります。一夜に五十里を飛ぶにはなんの苦もない足を持っていて、郷里の青梅宿《おうめじゅく》を中心に、その数十里四方を縄張りとし、その夜のうちに数十里を走《は》せ戻って、なにくわぬ面《かお》をして百姓をしているから、捕われる最後まで、誰もそれを知るものがなかった男であります。
甲所で盗んだ金は乙所へ隠して置き、乙所で掠《かす》めたものは丙所へ埋めて置いて、自分は常に手ごしらえの絵図面を携帯し、それへいちいち朱点を打っておいて、時機に応じ、必要に従って、その金を取り出す習いになっているのだから、ここへこうして鍬を持って来てみれば、もうその目的は問わずして明らかなのであります。昨夜、六所明神の社前で、宇津木兵馬に誓っておいただけの金子《きんす》を、この貯えのうちから引き出しに来たものと思えば間違いはありますまい。
兵馬は、今日まで、ずいぶんこの男の世話にはなっていたけれども、ただ、こういった義侠的の人に出来ているのだろうと思うよりほかは、考えようがなかったもので、果してこうと覚《さと》ったなら、その恩恵を受けられよう道理がなかったのですが、このことは兵馬が知らないのみならず、誰も知っていないので、ただがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵というならず[#「ならず」に傍点]者だけが心得てはいるが、これとても最初からの同類でもなんでもなかったのです。
果して七兵衛は、熱心に芝生の上を掘りはじめました。下は軟らかい真土《まつち》で、掘るに大した労力がいるわけでもなく、たちまちの間に一尺五寸ほど掘り下げると、鍬《くわ》を抛《ほう》り出して両手を差し込み、土の中から取り出したのは、油紙包を縄でからげた箱のような一品で、土をふるって大切《だいじ》そうに芝生の上へ移し、再び鍬を取って、以前のように地均《じなら》しをはじめていると、またも晴れた嵐が松の枝を渡る時、
「兄貴、何をしているのだ」
悪い奴が来たもので、これはがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が風のようにやって来て、いつか後ろに立っているのでした。
「百、何しに来たんだ」
悪いところへ悪い奴と思って、七兵衛が苦りきっていうと、百蔵は洒唖《しゃあ》として、
「日光街道の大松原で、ふと兄貴の後ろ姿を見かけたものだから、こうしてあとをつけてやって参りましたよ」
「油断も隙もならねえ」
七兵衛が鍬をついてがんりき[#「がんりき」に傍点]をながめていると、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、その鍬と七兵衛の掘り出した油紙包の箱と両方へ眼をくれながら、
「ひとつ折入って兄貴にお聞き申したいことがあって、それ故、おあとを慕って参りました」
「それはいったい、どういうことを聞きたいのだ」
「ほかでもありませんが、この道中筋を横と縦へ向って、今がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵がしきりに捜し物をして飛び廻っているという次第ですが、その捜し物というのは、兄貴の前だが……」
「わかってる、わかってる」
七兵衛は頭を振って、
「手前《てめえ》が、そうしてのぼせ[#「のぼせ」に傍点]切って東西南北を血眼《ちまなこ》で馳け廻っている有様を見ると、おれは不憫《ふびん》で涙がこぼれる、仕舞《しまい》の果てにはなけなしの、もう一本の片腕をぶち落されるくらいが落ちだろう……色狂《いろきちが》い!」
「その御意見は有難えが、時のいきはり[#「いきはり」に傍点]で、つい引くに引かれねえ場合なんだから、どうか友達甲斐に、このがんりき[#「がんりき」に傍点]の男を立ててやっておくんなさいまし」
「馬鹿野郎!」
「まあ、そうおっしゃらずに……ときに兄貴、いったいこれからがんりき[#「がんりき」に傍点]はどっちへ振向いたら目が出るんでございましょう、そこのところをひとつ」
「おれは易者ではないから、そんなことは知らねえ」
「それが兄貴の悪い癖なんだ、目下《めした》の者をあわれむという心が無《ね》えんだから」
「よし、それじゃ、お情けに一つ言って聞かそう。およそ、甲州の裏表、日光の道中筋で、この間中から、俺は三つの怪しい乗物を見たんだ、その一つは高尾の山の蛇滝《じゃだき》の参籠堂から出て、飯綱権現《いいづなごんげん》の広前《ひろまえ》から、大見晴らしを五十丁峠へかかった一つの山駕籠と、それからもう一つは
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