「がんりき」に傍点]、おれを知ってるか」
といって、笠の紐へ手をかけて、そろそろと出て来ました。
「やあ、あなた様は……そうだ、水戸の山崎先生でございましたな」
「うむ、驚いたろう」
「全く驚きましたね、わっしはまた、てっきり[#「てっきり」に傍点]七兵衛の奴とばかり思っていたものですからな。先生、なかなかお人が悪い、時節柄ですから、ずいぶん驚いてしまいましたよ、どうかお手柔らかにお願い致したいものでございます」
「別段、貴様をおどかしてみるつもりもなかったのだが、張っておいた網に貴様の方からひっかかったようなものだから、ふしょうしろ。実は、もう少し大物を引っかけるつもりで張った網だが、いやなみそさざい[#「みそさざい」に傍点]がひっかかったので、おれも少しうんざりしているのだ」
「みそさざい[#「みそさざい」に傍点]は恐れ入りました」
「ところで、がんりき[#「がんりき」に傍点]、おれがこうして網を張っているわけも、また貴様がこうして、あぶないところへ近寄りたがるわけも、大概はわかっているはずだが、ここで計らず、二人がめぐりあったのは、六所明神のお引合わせかも知れないぞ」
「どう致しまして」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は額へ手を当てて苦笑いしました。今まで自分は南条、五十嵐の方の手先をつとめて、この山崎――この人はもと新撰組の一人で水戸の浪士、香取流の棒をよくつかう人――に楯《たて》を突いて来たので、この山崎には七兵衛が附いて、おたがいに張り合って来たのですが、ここで苦手にとっつかまっては、苦笑いがとまらない。
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、昨夜のあのいたずら[#「いたずら」に傍点]は誰の仕事だ、貴様はよく知っているだろうな、知らないとは言わせんぞ。あれは南条力と五十嵐|某《なにがし》らの浪人どもが企《たくら》んで、伊豆甚の娘を盗み出して逃げたものに相違あるまい。多分、貴様あたりがその手引をしたものと睨《にら》んでいる。どうだ、真直ぐにいってしまえ、どっちへ逃げたか、それともどこへ隠したか、てっとり早く明白《はっきり》といってしまえ」
 山崎譲はグッと近く寄って来て、小柄を持っているがんりき[#「がんりき」に傍点]の小手を、しっかりとつかまえてしまいました。
「その事、その事なんでございます、実はがんりき[#「がんりき」に傍点]もその事で、出し抜かれたんでございますからなあ」
 何をか言いわけをしようとするのを、山崎は許すまじき色で手首を持って引き寄せました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵も、この人にとっつかまっては弱りきっているのを、山崎はグングンと引張って、
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、貴様はこの間、南条なにがしの案内をして相模野街道を南へ歩いていたそうだが、あれはどこへ行ったのだ」
「白状してしまいますから、どうか、そう強く手を引張らないようにしていただきたいものです、片一方しかないがんりき[#「がんりき」に傍点]の手がもげ[#「もげ」に傍点]てしまうと、かけ[#「かけ」に傍点]がえがねえんでございます」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の痛そうな面《かお》を見て、山崎は引張っていた手をゆるめて、
「うむ、素直《すなお》に言ってしまえよ」
「素直に申し上げるまでもございません、あれは、たあいのねえことなんです、ほんの道連れになっただけのものでございます」
「まだトボけているな」
「お待ち下さい、私の方ではたあいのないことなんですが、先方様の思惑《おもわく》のところはわかりません、ただちょっとした縁で道づれになって、その道筋の案内を少しばかりして上げたようなものでございます」
「その案内の道筋というのは、どっちの方角だった」
「それは……その、八王子から平塚街道を厚木の方へ出る道をたずねられたものですから、その案内をして上げました」
「いや、そうではあるまい、貴様は南条なにがしの手引をして、荻野山中《おぎのやまなか》の大久保長門守の城下へ入り込んだのだろう」
「ええ、それは違います」
「違うはずはない、白《しら》を切ると承知せんぞ」
「違います、あの方は果して厚木へおいでになったか、それとも荻野山中の大久保様の御城下とやらへおいでになったか、そのことは一向存じませんが、かく申すがんりき[#「がんりき」に傍点]は途中からお暇乞《いとまご》いをして、八王子へ出て参ったに相違ございません」
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、貴様は、南条、五十嵐の一味が容易ならぬ陰謀を企てていることを知って彼等に加担《かたん》しているのか、知らずして働いているのか」
「どう致しまして、あの先生方が、どういう大望を企てて、どういう陰謀をめぐらしているのだか、私共にはそんなことはわかりません、出たとこ勝負で、頼
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