には、こうもまあ面《かお》のまるい人があるものかと、あっけ[#「あっけ」に傍点]に取られてその面を見直すばかりであります。
実際、和尚の面は、ブン廻しで描いたほどにまんまるく、眉と目は、細く霞のように上庭《じょうてい》の一部に棚曳《たなび》き、鼻は、ほんの申しわけに中央に置かれ、その代り比倫《ひりん》を絶して大きいのはその口と唇で、大袈裟にいえば、夜具の袖口ほどあります。
で、正式に袈裟法衣《けさころも》をつけて、侍者を従え、ユラリと演壇へのぼって、むんずと坐を組み、
「オホホホホホホ」
と面《かお》に似気《にげ》ない愛嬌笑いを試みた時に、霞のように棚曳いていた細い眉と目が、一時にドヨみ渡りました。
「さて」
慢心和尚は笏《こつ》を取って、机を一つトンと叩き、
「今日は、愚僧に向って説教をせいとのことであるが、愚僧は今日までトンと説教ということを致したことがないじゃテ。釈迦もそれ人《にん》を見て法を説くといった。つまり説教というものは、その場その場のお客様次第のものじゃ。法というものは不増不減のものだが、教えというものは融通変化《ゆうずうへんげ》、自由自在でなければならん。法は本体じゃ、教えは化者《ばけもの》じゃ。うまく化かされたのがエライ、うまく化かされたのが救われたというわけじゃ。愚僧もこれ、多年坊主を商売にしているが、説教をして人を化かすことが大の不得手でな……坊主によるとずいぶんこれに妙を得たのがあって、これ、お同行衆《どうぎょうしゅう》や、朝《あした》に白骨となり夕《ゆうべ》に白骨となる何《なん》かんとやると、それ、後生安楽《ごしょうあんらく》、南無阿弥陀仏、バラバラ、バラバラ(財布からお賽銭《さいせん》を取り出して投げる真似をする、聴衆笑う)……さて、昔、六祖|慧能大師《えのうだいし》というお方は始終|石臼《いしうす》を背負ってお歩きになった、行くにも石臼、帰るにも石臼、悟り得ざる時も石臼、悟り得た後も石臼、寝るにも石臼、坐るにも石臼、人を度《ど》するにも石臼、法を説くにも石臼、石臼でなければ夜も日も明けない……」
この時、突然聴衆の中から、
「石臼とならばドコまでも、箱根山、白糸滝の中までも……」
頓狂声で交ぜっ返したものがあるから、ドッと笑って、誰も彼もあいた口がふさがりません。
「叱《しっ》!」
叱る声と、笑う声でドヨみ渡っている中に、抜からぬ面《かお》で男子席の一隅にすまし込んでいるのが道庵先生であります。
さてこそ、今の交ぜっ返しはこの先生から出たと、先生が先生だけに一同が腹も立てません。御当人は多分居眠りをしていたのが、何かに驚かされて、ふと眼がさめ、夢うつつでついこんなことを口走ってしまったものと見えます。一同が呆《あき》れ返って、先生を目の敵《かたき》にした時分には、先生すましたもので、再び舟を漕ぎはじめているから始末にいけません。
「オホホホホホ」
慢心和尚は、さも嬉しそうに愛嬌笑いをして、
「その通りじゃ、石臼とならばドコまでも、箱根山、白糸滝の中までも。そこで相手が石臼だから、ついて離れない。三界流転《さんがいるてん》のうち、離れ難きは恩愛の道じゃ。六祖は石臼を引きずって歩いたが、生きとし生ける者の、恩愛に引きずられて歩かぬというはない」
慢心和尚はそれから、一時浮き立った席を、徐《おもむ》ろに静めて綿密な説教を進めて行きました。
古人の行持《ぎょうじ》の親切なことをこまごまと教えてゆく時は、自分もホロホロと泣いてしまいました。
「臨済《りんざい》は三たび黄檗《おうばく》に道をたずねて、三たび打たれた。江西《こうせい》の馬祖は坐禅すること二十年。百丈の大智は一日|作《な》さざれば一日|食《くら》わず。趙州観音院《じょうしゅうかんのんいん》の和尚は、六十一歳にして、はじめて発心求道《ほっしんぐどう》の心を起して諸方に行脚《あんぎゃ》し、七歳の童子なりとも我に勝《まさ》らん者には我すなわちこれに問わん、百歳の老翁なりとも我に及ばざる者には我すなわち教えんといって歩いた。古人、道を学ぶの親切なること、ただただ涙のこぼれるばかりじゃ……これ、ひとり参禅弁道のためのみではござらん、すべてまことの師道には、この親切というものがござる。愚僧の如きも初めの頃、師匠から打《ぶ》って打って打ちのめされて、命からがら漸く今日まで永らえてみると、打たれた師の拳《こぶし》が有難いが、今はこの丸い頭を打ってくれる奴が一人も無いかと思うと、無性《むしょう》に情けないのじゃ」
こういって、また慢心和尚がホロホロと泣き出しました。
この時は、しんみり[#「しんみり」に傍点]して誰も笑う者がありません。なかには何か知らぬ哀れに誘われて、シクシクと貰い泣きをする女たちさえありました。
和尚は話頭《はなし》
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