い》は、物の本などで見る通りの狼藉《ろうぜき》です。
 こういう場合には兵馬は経験がないではない。そこで、もう一応見届けようと踏みとどまりました。それとは知らず二人の盗賊は、おちつき払って悽文句《すごもんく》を並べている。それとてもたいてい紋切形《もんきりがた》の悽文句で、この寺は裕福だと聞いて来たのに、これんばかりの端金《はしたがね》では承知ができねえ、もっと隠してあるだろう、有体《ありてい》にいってしまわねえと為めにならねえ、というようなこと。
 暫くあって一人の盗賊がつと立って、お雪の方へ寄りましたから、兵馬がハッとしました。盗賊の怖るべきは物を取るよりも、女を脅迫することである。兵馬はその例を京都でよく知っている。
「御免下さい」
 お雪の泣き声。それはお雪だけの猿轡を外《はず》したものです。
「静かにしねえと為めにならねえ」
 盗賊が物々しくその泣き声を抑えつけて、その次にわざと小声で、
「姉さん、これからお前は土蔵へ、おれたちを案内するのだ。さあ、鍵があるだろう、鍵を持って土蔵へ案内するがいい」
と、こういって脅迫しはじめたものです。
 その脅迫をのがるる由もないお雪は、強《し》いて手燭を持たせられて、二人の白刃《しらは》の間にハサまれて、この部屋を出ようとする時分、
「盗賊め――」
 といって飛び込んだ兵馬は、先に立った盗賊の真甲《まっこう》を一太刀きると、
「わッ!」
「やったな、それみんな、叩き切っちまえ」
 兵馬にきられたのが倒れる途端にお雪も倒れて、手に持たせられた手燭を取落す。この時一人の盗賊は心得て、部屋の行燈《あんどん》を蹴倒してしまったから、部屋は忽《たちま》ちに真暗闇です。兵馬は、すり抜けて、床柱の方に、三人の味方をかくまって立っていました。
 そこで、真暗闇の室内は、混乱驚愕の闇仕合となる。
 兵馬としては、これらの盗賊を斬るよりも、家中の者の安全を保護するが先である。盗賊共はこうなると、物を盗《と》るよりは逃ぐるが勝ちである。一人の奴が物慣れていると見えて、手当り次第にそこらの物を取っては投げつけるのは、隙を見て逃げ出すつもりに違いない。兵馬はその方角をみはからって、また飛び込んで斬ると、
「あッ!」
といったのは確かに手答えのある声。
 兵馬は賊の投げつけた枕を払って、その切先《きっきき》でたしかに賊の背筋を切ったらしい。
 その悲鳴をあとに、用意の雨戸を蹴外《けはず》して、二人の盗賊は外の闇に飛び下りてしまいました。
 あとを追いかけるよりは、内のものを看護するのが急である。そこで兵馬は、
「お怪我はありませんかな、お怪我は?」
といって、行燈の傍《かたわら》へ手さぐりして火をつけようとすると、
「お客様、有難うございました」
「おおお雪さん、無事でしたか、お怪我はありませんでしたか」
「ええ、おかげさまで助かりました」
「皆さん無事ですか、早く、あかりを欲しいものですな」
「はい、ここに」
といってお雪が探し当てた火打。あかりをつけて見ると、ありとあらゆる物を投げ散らかしたあたりの狼藉《ろうぜき》。血痕が襖にも障子にも飛び散っている。急いで、縛られた住持と針妙の縄目を解いてやると、いずれも死に近いほど恐怖はしていたが、怪我といっては別段にありません。
 やがて、それぞれ元気づいた後、兵馬はなお人々を励まして、ともかく、この事を役向へ訴え出づると共に、人を集めて盗賊の行方を追究させなければなるまいと言い出すと、柔和《にゅうわ》なる寺の老住持が言いました。
「まあお待ち下さい、表沙汰《おもてざた》にすることは見合わせが願いたい。皆々|身体《からだ》に怪我もなし、取られたのは少々の金、寺から縄付きというものを出したくもなし、あのくらい懲《こ》らしめていただけば、二度とこの界隈へ近寄るはずもなかろうから、何事もこのままに」
と、さすがは坊さんらしい意見で、この事は訴えもせねば、世間へも発表せず、これまでの災難とあきらめてしまおうということに一決しました。
 そこへ、弁信法師もやって来る。何か済まないような面《かお》をして清澄の茂太郎もやって来る。みんな寄ってたかって見舞やら、慰問やらで、賑やかなことになりました。
 なんといっても、一同の感謝は兵馬の上に集まり、よい人が泊り合わせてくれたことを喜ばずにはいられません。兵馬はまた、弁信法師の知らせ方の用意周到であったことを今になって讃《ほ》め、家の者は弁信の勘のよいことを、いまさらに讃めて兵馬に語りました。
 さて、盗賊の何者であるかということに就いて、兵馬は、どうしても多少案内を知り、この寺の裕福なことを頭に入れて来たものに違いなかろうというと、お雪が、
「それについて思い出すのは、昨日の日に箕直《みなお》しが来て、妙にジロジロわたしの面をなが
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