つもりだ。それにもかかわらず、ああいうことをしでかした原因を推量してみると、宇津木君、君はこのごろ、女に迷うているのではないか。女に迷うと金に詰まる、これは切ってはめたような浮世の習いだ、君が、誼《よしみ》はあっても更に怨みというもののない拙者を討とうとするのも、多分、この辺から来ているのではないか、と僕は推量している。また、そうとしかほかに理由が考えられないのだ。自重《じちょう》してくれ給えよ……しかし、宇津木、それはどうあろうとも、正直のところは、拙者は君を敵に持つことを怖れているのだ。卑怯の意味で後ろを見せるというわけではないが、君が強《し》いて事を好めば拙者も手を束《つか》ねてはおられぬ、同行の諸君もそれを見てはおれまい。ここでおたがいが火の出るような斬合いをはじめて、どっちが勝ってみたところで、どっちが負けてみたところで、あるいは共倒れになってみたところで、無名の戦いは畢竟《ひっきょう》無名の戦いで、空《むな》しく人の笑われ草となるに過ぎない。ここをよく考えてくれ給え、とかくの判断は後日として、宇津木君、今日は拙者を見のがしてくれ給え。さあ諸君」
と言って山崎は、棒を兵馬の前へ投げ出して、人数の中へハサまるが早いか、一団になって走せ去りました。
 宇津木兵馬は、過ぎ行く乗物の一行を、その提灯の影が見えなくなるまで、茫然として見送っておりました。
「少々物をお尋ね致しとうございますのですが」
 呼びさまされて見ると、自分の前に、見慣れない旅人風の男が立っております。
「何事です」
「ただいま、これへ一挺の乗物が通りは致しませんでしたろうか、ええと、たしか、源氏車の紋のついた提灯を持っておりましたはずで、お附添のさむらい[#「さむらい」に傍点]衆が四五人、もっともその中に一人、さむらい[#「さむらい」に傍点]体《てい》でないお方が、棒を持っておいでなさいましたはずで」
「ははあ、そのことか」
「その乗物は黒塗りでございました」
「それそれ」
 兵馬はまだ、過ぎ去ったそのもののあとをながめているのです。
「いかがでしょう、通りましたでしょうか、通りませんでしたろうか、通りましたとすれば、どのくらい前のことでございましたろう、ぜひひとつ」
「なに、何をいわれた?」
「じょうだんではございません、ただいまこれへ、一挺の乗物が通りは致しませんでしたろうか、たしか源氏車
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