く番屋の門を出でた兵馬は、身には饅頭笠《まんじゅうがさ》と赤合羽で、片手には「六所明神社務所」の提灯を持ち、片手には夜番の者が持つような六尺棒をついて、刀脇差は合羽の下に隠し、木馬《もくば》から御宮《おんみや》、本社を一廻りして、一の鳥居から甲州街道の本通りへ出で、両岸に賑わしい府中の宿の真中を悠々と通りましたが、誰も怪しむ者がありません。
兵馬が誰にも怪しまれなかったのは、左巴《ひだりどもえ》の紋のついた六所明神の提灯のおかげです。
笠と合羽を用意して出たのは、空模様をもしやと気遣ったのみでなく、それが身を隠すに都合がよかったからで、ことに長い刀は見えないようにと苦心して、悠々と府中の宿を西へ一通り歩み抜けて裏へ出ました。
裏へ出るとまもなく、問題の分倍河原です。河原一面に離々《りり》とした草叢《くさむら》。月のあるべき空が曇っていて、地上はボーッとして水蒸気が立てこめているから、さながら朧夜《おぼろよ》の中を歩んで行く気持です。
鬼哭啾々のところ、ここで前の晩、時ならぬ琵琶の音が聞えたと、さいぜんの浪人者がいいました。兵馬は河原道を陣街道の方へ出ようとして、そぞろに進んで行くと、河原の中に一つの大きな塚がある。三千人の塚というのは多分これか知らと、兵馬は塚の下にたちどまって、四方《あたり》を見廻すと、やはりボーッと立てこめた靄《もや》の中に、自分ひとりが茫々《ぼうぼう》と置き捨てられている光景です。
その時に兵馬は、自分が今までとはまるで別の世界へ持って来られたように感じて、画中の人という気分にひたってみると、なんだか知らないが、犇々《ひしひし》として悠久なる物の哀れというようなものが身にせまってくるのを覚えて、泣きたくなりました。
ここは武蔵の国府の地。東照公入国よりもずっと昔、平安朝、奈良朝を越えて、神代の時に遡《さかのぼ》るほどの歴史を持った土地。江戸の都が、茫々として無人の原であった時分に、このあたりは、直衣狩衣《のうしかりぎぬ》の若殿《わかとの》ばらが、さんざめかして通ったところである。源頼朝はここへ二十万騎の兵を集めたそうな。新田義貞と北条勢とは、ここを先途と追いつ追われつしていた。足利尊氏が命|辛々《からがら》逃げたあともここを去ること遠くはない。英雄豪傑の汗馬《かんば》のあとを、撫子《なでしこ》の咲く河原にながめて見ると、人は去り、山
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