ざりまする、旧き都を来て見れば、浅茅《あさじ》ヶ原《はら》とぞ荒れにける、月の光は隈《くま》なくて、秋風のみぞ身には沁《し》む、というところの、今様《いまよう》をうたってみたいと思いますから、どうぞ、それまでの間お待ち下さいませ、それを済ましさえ致せば、早々立退きまするでござりまする」
一息にこれだけの弁解をしてしまったから、さすがの社人《しゃじん》も相当に呆《あき》れたと見えます。ただ呆れただけならいいが、どうもそのこましゃく[#「こましゃく」に傍点]れた弁解ぶりが、癪にもさわったようで、
「いけねえ、いけねえ、貴様たちは火放泥棒《ひつけどろぼう》でも仕兼ねまじき乞食坊主だろう、昔の高貴の方と一緒の気になって、神様へ琵琶を奉納という柄じゃねえ、そんなことを言い言い、社の御縁の下に野宿でもしようというたくらみ[#「たくらみ」に傍点]だろう。つい、この間も、危ないところ、乞食めが潜《もぐ》り込んで、煙草の吸殻を落したために、火事をしでかすところだった。乞食琵琶なんぞはサッサとやめて、早く出ろ、早く出ろ、出ねえとこれだぞ」
またしても長い竿で、弁信の頭をつつきました。
「弁信さん、出ようよ」
茂太郎は、見兼ねて促《うなが》しました。
「出ろ、出ろ。貴様たち、それほど琵琶が弾きたいなら、河原へ行って、思う存分弾くとも呶鳴《どな》るともするがいいや。そこを出ると多摩川で、その近辺の河原が分倍河原《ぶばいがわら》といって、古戦場のあとだ。河原の真中で弾く分には、誰も文句をいうものはなかろう」
社人は、一刻の猶予も与えずに追い立てるから、弁信も詮方《せんかた》なく、琵琶を抱いて立ち上りました。
九
弁信の喋《しゃべ》った通り、平皇后宮亮経正《たいらのこうごうのみやのすけつねまさ》は、竹生島《ちくぶしま》で琵琶を弾じた時に、明神が感応ましまして、白竜が袖に現われたかも知れないが、弁信が六所明神で琵琶を奉納すると、白竜が現われないで、竹竿が現われました。
その竹竿につつき出された二人は、これから宿中を流して歩こうとも思いません。また宿を求めて泊ろうとも致しません。わからずやの社人に差図をされた通り、正直に程遠からぬ分倍河原へ出てしまいました。ここで奉納の曲の残りを語ってしまい、なお夜もすがら喋りつづけ、或いは語りつづけるつもりと見えます。
分倍河
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