月を見る……」
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 弁信は得意になって旧都の月見を語りました。前にいうようにこの盲法師が、琵琶にかけて名人上手であるかどうかは疑問ですけれども、月夜の晩に、月見の曲を選んで、古今の名文をわがもの面《がお》に清興を気取らず、かなり無邪気な子供らしい声で語るから、人をして声を呑んで泣かしむるほどの妙味はなくとも、聞いていて歯の浮くような声ではありません。
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「中にも徳大寺の左大将実定の卿は、旧き都の月を恋ひつつ、八月十日あまりに福原よりぞ上り給ふ、何事も皆変りはてて、稀に残る家は門前草深くして庭上露|茂《しげ》し、蓬《よもぎ》が杣《そま》、浅茅《あさぢ》が原《はら》、鳥のふしどと荒れはてて、虫の声々うらみつつ、黄菊紫蘭の野辺とぞなりにける、いま、故郷の名残りとては、近衛河原の大宮ばかりぞましましける」
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 弁信法師は得意になって、この妙文《みょうもん》をほしいままに語って退けました。
 不思議なもので、こうなって来ると、東夷《あずまえびす》の住む草の武蔵の真中の宮柱に、どうやら九重《ここのえ》の大宮の古き御殿の面影《おもかげ》がしのばれて、そこらあたりに須磨や明石の浦吹く風も漂い、刈り残された雑草のたぐいまでが、大宮の庭の名残りの黄菊紫蘭とも見え、月の光に暗い勾欄《こうらん》の奥からは緋《ひ》の袴をした待宵《まつよい》の小侍従《こじじゅう》が現われ、木連格子《きつれごうし》の下から、ものかわ[#「ものかわ」に傍点]の蔵人《くらんど》も出て来そうです。
 ただ、琵琶を抱えている弁信法師だけが、どう見直しても徳大寺の左大将とは見えないとは言え、あまり喋り過ぎた時は小憎らしいほどな小坊主が、この時は、いかにもしおらしい月下の風流者であります。風流者というより敬虔《けいけん》なる礼拝者のように見えました。
 茂太郎もまた、しんみりとして、両手をちゃんと膝に置いたままに、神妙に聞き惚れているのに。どうでしょう、心なき御輿部屋《みこしべや》の後ろから姿を見せた白丁《はくちょう》の男が、いきなり長い竿を出して、
「おい、誰だい、そこでピンピンやってるのは誰だい、誰にことわってそんなことを始めた、誰の許しを得て歌なんぞをうたうんだい」
 闇の中からがなり出したので、せっかく浮き出した情景が、すっかり壊されました。

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