いましい奴等だ。お絹の身持は言語道断《ごんごどうだん》、福村の奴もこれまで、どのくらい眼をかけてやったか知れないのに、ふざけた真似をする、外に女がないではあるまいに――年をとるほど油が乗るという淫婦の肉体ほど厄介なものはない。殺してしまわなければその油が抜けない。いまいましい話だ。それを思うと甘かった盃が急に苦くなります。
「殿様には、よくまあ御不自由の中に御辛抱をなさいます。世が世ならば、私共なんぞは、お傍へも寄ることはできませんのに、こんなところへお越し下さいまして、ほんとうに勿体《もったい》ないことでございます」
「いや、お吉、お前には何から何まで世話になるばかりで本当に済まぬ、主膳もこのまま朽ち果てるとも限るまいから、何かまた世に出づる時があらば、この恩報じは致すつもりだからな、又六にも悪くなくいっておいてくれよ」
「殿様、恐れ多いことでございます。宿《やど》も、殿様がお気の毒だ、お前はよくして上げなければならないと、いつでも申しておりますでございます」
「又六もなかなか心がけのよい者だ、主膳が世に出れば、このままでは置かないつもりだ」
神尾主膳は、どうしたものか今夜に限って、しきりに世に出れば、世に出れば、が口の端《は》に出る。このごろはともかくも今の境遇に安んじて、それを楽しむ心さえ起りかけていたのに、今夜は急に、これを不足とするらしい。
「どう致しまして、殿様、私共はいつまでも殿様がこうしてこちらにおいであそばす方が、忠義ができて有難いと申しておりますのでございます。殿様が、以前の御身分にお戻りなされば、とてもお傍へも寄ることはできません、殿様のおためには、御出世がようございますか存じませんが、私たちのためには、こうしてお身軽くしておいでなさるのが何より有難いのでございます」
「いや、お吉、お前方の親切はほんとうに嬉しいぞ。それが本当だ、今まで拙者が交際していたやつらは、羽振《はぶ》りのよい時だけに限ったものだが、お前たちにはそれがないのが嬉しい、嬉しい。お吉、ほんの志じゃ、これをお前に取らせるぞ」
といって神尾主膳は差していた脇差を抜き取って、お吉の前に置きましたから、お吉がびっくりして、
「まあ、こんな結構なお差料《さしりょう》を、わたくしに……」
「取って置きやれ。ああ、いい心持になった。もう夜もかなり遅いことだろう、又六は今夜は帰るまいかな。
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