いたわけで、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が代っておみやげの美酒一樽をぶらさげ、提灯は断わってしまって、二人が相携えて、大平山を大中寺の方へ、山間《やまあい》の小径《こみち》を伝うて下ります。
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、そちはどこで拙者の隠れ家を聞いて来た」
「ええ、福村様から承って参りました」
「福村から? 福村はどうしている」
「相変らず……お盛んな御様子でございました」
「そうか」
「時に神尾の殿様、あなた様はいったい、もうこの土地で、一生を埋《うず》めておしまいになるつもりでございますか、江戸の方には未練をお残しなさるようなことはございませんのですか」
「そうさなあ、住めば都の風といって、このごろのように行い澄ました心持になってみると、こういった生涯にもまた相当の味があるものでな」
「ははあ、では、その大中寺とやらで、御修行をなすっていらっしゃるんでございますね、御修行が積んだら、ゆくゆくは一カ寺の御住職にでもおなりなさるつもりで……いや、頼もしいことでございます」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、わざとらしく一樽の美酒をブラブラさせる。
「何をいっているのだ」
 神尾も久しぶりで相当の話敵《はなしがたき》が出来たような気分で、がんりき[#「がんりき」に傍点]の相手になって、ブラブラと小径をたどる。
「そりやずいぶんと結構でございますなあ、殿様がそういう結構なお心になったとは露知らず、世間にはずいぶんふざけた奴が多いので、いやになっちゃいますなあ」
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、そちは妙ないい廻しを致すではないか」
「全く腹が立っちまいますねえ、せっかく、発心《ほっしん》なすって功徳《くどく》を積もうとなさる殊勝なお心がけを、はたからぶちこわして行く奴が多いんで、情けなくなっちまう」
「何がどうしたのだ、誰か修行の妨げでもしたというのか」
「まあ、早い話が……この酒樽なんぞも、そのロクでなしの一人、ではない一箇《ひとつ》のうちでございましょう、こいつが」
といってがんりき[#「がんりき」に傍点]は、その提げていた酒樽を、邪慳《じゃけん》にブラブラさせる。
「その酒樽が……何か悪事でも働いたというのか」
「悪事どころじゃございません、第一、御修行中の殿様を、今、お見かけ申せば、どうやらいい心持にして上げたのも、こいつの仕業《しわざ
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