》かと思いますると憎らしい」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はこういって、またも酒樽を烈しくブラブラさせる。
「これ、酒樽に罪はない、そう手荒いことをするな」
「手荒いことをするなとおっしゃったって、これが憎まずにいられましょうか、さんざん、殿様をほろ[#「ほろ」に傍点]酔い機嫌のいい心持にして上げたうえに、また宿へお帰りになれば、寝酒というやつで、散々《さんざん》のお取持ちをする、思えば思えば、この樽めが憎らしい、憎らしい!」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、今度は、ブン廻すように酒樽を烈しく揺《ゆす》ると、神尾が笑い出し、
「いいかげんにして許してやってくれ。実は近頃、全く禁酒をしているのだ、ところが今宵《こよい》、碁敵《ごがたき》の隠居に招《よ》ばれて、碁に興が乗ってくると、思わず知らず盃に手をつけたのがこっちの抜かり……四五盃を重ねて、つい、いい心持になっているところへ、隠居が気を利かせたつもりで、その一樽《いっそん》をばお持たせということになったので、拙者の意志ではない、先方からの好意がかえって有難迷惑じゃ」
「さればこそでございます、それほど殿様が一生懸命に行い澄ましていらっしゃるのを、外から甘えてこっちのものにしようと企《たく》む奴、いよいよ以て容赦のならぬ樽め」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、いよいよ樽を虐待してみたが、それでも踏みこわすほどのことはなく、やがて、おとなしくなって、わざとらしく猫撫で声、
「神尾の殿様、憎いのはこいつばかりじゃございません」
「まだ憎み足りないか」
「憎み足りない段ではござりませぬ、ほんに骨身を食いさいてやりたいというのは、蒲焼《かばやき》の鰻《うなぎ》ではございませんが、年をとるほど油の乗る奴があるんでございます、見るたんびに油が乗って、舌たるいといったら堪《たま》ったものじゃありません、あれをむざむざ食う奴も食う奴、食われる奴も食われる奴、全く骨身を食いさいてやりたいほど、憎らしいもんです」
「がんりき[#「がんりき」に傍点]」
「はい」
「その酒をここへブチまけてしまえ」
神尾主膳はなんとなく焦《じ》れ出してきたように見える。
「それは勿体《もったい》ないことでございます」
「いいからブチまけてしまえ」
「勿体ないことでございますな、おいやならば私が頂戴致しましょう、お下《さが》りでありましょ
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