を、気休めとして聞くほどに自分を知っている。
「ですから友さん、わたしはお前によく話をしたり、頼んだりしておきたいと思っているの……」
「うむ」
「友さん、お前はわたしを憎んでいるばかりでなく、駒井の殿様をもいつまでも憎んでおいでなのが、わたしは残念でたまらない」
「それは昔のことだ、今じゃあそんなことまで考えちゃあいねえよ」
「嘘です、友さんは憎みはじめたら、良い人でも、悪い人でも、終いまで憎んでしまうのですから、わたしは悲しい。ですけれども今はそんな話はよしましょう、間《あい》の山《やま》にいた時のお友達の昔に返って、友さんにわたしはお頼みしておきたいことがあるのよ……」
 お君は、やっとこれだけのことをいうと、すっかり疲れてしまって、咽喉《のど》もかわくし、唇の色まで変っています。
「お君さん、お薬を上げましょうか」
「どうも済みません」
 お松の手で咽喉をしめしてもらったお君は、再び言葉をつぐ元気がないと見えて、目をつぶったままで微かに呼吸《いき》を引いています。
 二人も、その安静を妨げない方がよいと思って、黙って、お君の寝顔をながめているだけです。
「友さん……」
 暫くして呼んだお君の声は、夢の中から出たようで、その眼は開いているのではありません。
「お君さん……」
と米友の代りにお松が返事をしたけれど、お君の呼んだのは囈言《うわごと》でありました。
 二人は、なおその寝顔をじっと見ていると、お君の額にありありと、苦痛の色が現われて、
「あ!」
「お君さん」
 お松がその背中へ手を当てると、
「皆さん、ムクを大切《だいじ》にして下さい、お松様、あのことをお頼み致しますよ」
「何をいっていらっしゃるの、お君さん、しっかりしなくてはいけません」
「友さん……それでは、わたしを間の山へ連れて行って下さい……駒井の殿様へよろしく申し上げて、さあいっしょに帰りましょう……鳥は古巣へ帰れども、往きて還らぬ死出の旅……」
 この時、お君の面《おもて》からサッと人間の生色が流れ去って、蝋のような冷たいものが、そのあとを埋めてしまいました。
「誰か来て下さい……」
 お松が叫んだ時、抱えていたお君の頭が、重くお松の胸に落ちかかります。
「死、死んだのかい!」
 宇治山田の米友が、矢庭《やにわ》に飛び上ったのもそれと同時刻。
 かわいそうに、お君は死んでしまいました。


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