た」
「御大も、あの時のことを思い出すと癪にさわると見え、身ぶるいをして、憎いおしゃべり[#「おしゃべり」に傍点]坊主! と口惜《くや》しがっている」
「全く、あの小坊主は変な坊主でした、うちの茂太郎の友達だと言って来たこともありましたが、怖いほど勘のいい――」
「全くあの時分の化物屋敷は、名実共に化物屋敷であったが、御大があの形相《ぎょうそう》では、今後の化物ぶりが一層思い合わされるのだが、当分、田舎《いなか》に引込んで此方《こっち》へは出て来まい」
「どこへ引込んでおいでになっていますか」
「栃木の大中寺《だいちゅうじ》というところに、もとの知行所があって、そこへ隠れている」
「栃木の大中寺、たいへん遠いところへお越しになったものですね」
「なに、遠いといっても日光より近いのさ。一度、日光参詣をついでに、一緒に見舞に行かないか」
「ぜひお供を致しましょう」
「ところで、今日ワザワザやって来たのはほかではない、君にちょっと金儲けの口を授けようとして来たのだ。というのは、ながらく西洋へ売られて行って、あっちで珍しい手品を覚えて来た奴がある、それをうまく売り込みたがっている口を聞き込んだから、頼まれもしないのに持ち込んで来たものさ」
「それは耳よりの話ですねえ」
 お角は乗気になってしまいました。
「詳しい話は拙者のところへやって来給え、小石川の茗荷谷《みょうがだに》で、切支丹坂《きりしたんざか》を上って、また少し下りると、長屋門のイヤに傾《かし》いだのが目安だ……」

         十九

 両国橋の女軽業の小屋を出た御家人くずれの福村は、帰りがけに通油町《とおりあぶらちょう》の鶴屋という草紙問屋《そうしどんや》へ寄って、誰へのみやげか、新版の錦絵を買い求めながら、ふと傍《かたえ》を見ると、お屋敷風の小娘が一人、十冊ばかりの中本《ちゅうほん》の草紙を買い求めて、それを小風呂敷に包んでいるところであります。
 まず、その小風呂敷に目がつくと、紫縮緬《むらさきちりめん》のまだ巳《み》の刻《こく》なのに、五七の桐が鮮かに染め抜いてあります。はて、物々しい、と福村はそれに目を奪われて、いま包もうとする草紙を覗《のぞ》いて見ると、上の一揃いは「常夏《とこなつ》草紙」、下のは「薄雪《うすゆき》物語」、どちらも馬琴物と見て取りました。
「さようなら」
 代を払って、娘が店頭《
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