まあ、慾張り……」
「静かにおし、梶原様のお入《い》り」
 力持のお勢が眼面《めがお》で知らせたところへ、親方のお角がやって来ました。
 お角が現われると、美人連も急に引締まって、どてら[#「どてら」に傍点]を被《かぶ》って寝ていた力持のお勢でさえも、起きて迎えに出ました。
「勢ちゃん、あんばい[#「あんばい」に傍点]はどうです」
「有難う、格別のこともございません、よくなりました」
「大切《だいじ》におしよ」
 美人連は、そわそわとして持場持場についたり、控《ひかえ》へ出て行ったりして、そこに残るものは福兄とお角の二人だけです。
「福兄さん、よく無事でながらえておいでになりましたね」
「恐れ入りやした」
 福兄は明荷《あけに》のところへ背をもたせて、ちょっとばかり頭を下げて、
「拙者の方でも一別以来、ずいぶんの御無沙汰だが、親方、お前の方でもずいぶん薄情なものだ、化物屋敷が焼けて、御大《おんたい》はあの通り苦しんでいる、我々はみな散々《ちりぢり》バラバラになっているのに、ツイぞ今まで、福はどうしているかと、お見舞にあずかった例《ためし》がない」
「その恨みなら、こっちに言い分が大有りさ。立退き先をあれほど探して歩いたのに、わからないばかりか、わかりきっている行先をさえ、わたしにまで隠そうとなさるなんぞは、水臭いにも程のあったもの、癪《しやく》にさわってたまらなかったのさ」
「それにはまたそれだけの理窟があって、あの当座は、あんまりいどころを人に知られたくなかったのさ。その点は喧嘩両成敗として、御大《おんたい》も実は苦しみ抜いている、一度、見舞に行ってくれないか」
「上りますとも。上ってよければ今日にでもあがりますけれど、そんなわけだから遠慮をしていました」
「もう遠慮は御無用」
「神尾の御前のお怪我はどうですか」
「創《きず》は癒着するにはしたが、なにぶん、眉間《みけん》の真中を牡丹餅大《ぼたもちだい》だけ刳《く》り取られたのだから、その痕《あと》がありありと残って、まあ出来損ないの愛染明王《あいぜんみょうおう》といった形だ、とても、あの人相では、世間へ出る気にはなれないとあって、大将当分は引込んでいるはずだ」
「怖ろしいことでしたね。何しろ、あの時に釣瓶《つるべ》へ肉がパックリと喰付《くっつ》いた有様は、眼の前に物の祟《たた》りを見るようで、ゾッとしてしまいまし
前へ 次へ
全169ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング