、わたしを可愛がる人はこの世にありません」
「けれども、お嬢様、あの方は悪人ですよ、あの方の傍にいると、いつか、あなたも殺されてしまうことを、お忘れになってはいけません」
「いいえ、あの方は、決してわたしを殺しはしません……わたしを殺さないだけではなく、わたしが傍にいれば、あの方はほかの人を殺さなくなるのです。わたしとあの人とは、しっくりと合います、わたしの醜いところが全く見えないで、わたしの良いところだけが、この肉体《からだ》も心も、みんなあの人のものになってしまうのですから。わたしは、天にも地にも、あの人よりほかには可愛がってくれる人もなければ、可愛がって上げる人もないのです……後生《ごしょう》ですから、あの人に会わせて下さい、いくらお金がかかってもかまいませんから、あの人の行方を探してみて下さい」
 この女はお銀様――甲州有野村の富豪藤原家の一人娘。花のような面《かお》を、鬼のように焼き毀《こぼ》たれてから、呪《のろ》われた肉体《からだ》に、呪われた心が宿ったのはぜひもありません。スラリとした娘盛りの姿に、寝るから起きるまでお高祖頭巾の裡《うち》につつまれた秘密、それに触るるものは呪われ、これに触れずしてその心だけを取るもののみが、溶鉱のように溶けた熱い肉に抱かれる。
 お角はお銀様だけがどうも苦手《にがて》です。この人に向うとなんだか圧《お》され気味でいけない。なんという負い目があるわけではないが、この人には、先《せん》を制されてしまいます。そこで申しわけをするように、
「よろしうございます、そういうことを頼むには慣れた人を知っていますから、近いうちに、キッとお嬢様のお望みの叶うようにして上げましょう」
「どうぞ、お頼み申します」
といってお銀様は、お辞儀をして立って行きました。
 二階へ上って行く後形《うしろすがた》を見ると、スラリとしていい姿です。品といい、物いいといい、立派な大家のお嬢様として通るのを、あのお高祖頭巾の中の秘密が、めちゃくちゃ[#「めちゃくちゃ」に傍点]に、一つの人生を塗りつぶしてしまうかと思うと、さすがに不憫《ふびん》ですが、鉛色に黒く焼けただれた顔面の中には、白味の勝った、いつも睨《にら》むような眼差《まなざ》し。お角でさえも、その眼で見られた時は、ゾッとして面《おもて》を外《そ》らさないことはありません。
 お銀様が二階へ上ってし
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