は甘《あめ》えもので、からっきし、物になっちゃあいねえ」
石の地蔵尊の台座の上に突立って、いつぞやの貧窮組の先達気取りで演説をはじめた道庵が、飛んでもないところへ脱線してしまいました。
実際、馬鹿面踊《ばかめんおど》りの極意《ごくい》に達している道庵の眼から見れば、小金ケ原の場末から起り出した不統一な、雑駁《ざっぱく》な、でたらめな、この輩《やから》の連中の踊りっぷりなんぞは、見ていられないのかも知れません。そうだとすれば、道庵が思わず義憤を発して、この衆愚を啓発してやろうという気になったのも、無理のないところがあります。
「そもそも馬鹿囃子のはじまりは、伊奈半左衛門が、政略のためにやったということになっているが、道庵に言わせるとそうでねえ。ちうこう[#「ちうこう」に傍点]になって雲州松江の松平出羽守、常陸《ひたち》の土浦の土屋相模守、美作《みまさか》勝山の三浦志摩守といったような馬鹿殿様が力を入れて、松江流、土屋流、三浦流という三つの流儀をこしらえたが、馬鹿囃子の本音は、トテモ殿様のお道楽では出て来ねえ。つづいて旗本の次男三男のやくざ[#「やくざ」に傍点]者が、深川囃子というのを
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