ではありません。五里、七里、八里も遠しとせずして来り踊る若い者があります。これは必ずしも、清澄の茂太郎が吹く口笛一つに引寄せられるのではありますまい。多くの人は、人の集まるところが好きです。ことに若い男は、若い女の集まるところを好みます。若い女とてもまた、若い男の踊るのを見ていやがるということはありません。
多数の人が、興に乗じて集まる時には、老いたるもまた、若きに化せられて、そこには一種の異った心理状態が現われると見えます。
小金ケ原に集まるほどの者は、みな踊りの人となりました。踊りを知らないものも動かされて、夢中に踊りの人となりました。
踊らないのはただ馬上のお喋り坊主と、音頭《おんど》を取る清澄の茂太郎だけであります。
「茂ちゃん、これはいったい、どうなるのでしょうね」
興に乗ずると我を忘れて、家を明けっ放しにして夜もすがら踊り抜こうという連中が、若い者や子供ばかりではありません。町の全体に、ほとんど幾人というほどしか留守番がいないで、声の美《よ》いものは声を自慢に、踊りのうまいものは身ぶりを自慢に、茂太郎の馬の廻りは、忽《たちま》ちの間に何百人という人の輪を作ります。
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