て、煙草盆をつるし上げ、鼻の先まで持って来ました。
 そこで話が少し途切れているところへ、廊下を渡って来る人の足音がありました。南条の居間の前で、その足音が止まると、
「南条殿、おいででござりますか」
 障子を颯《さっ》と押開いたものです。
「あ……」
 それで南条も、ややあわてました。障子を押開いた人も面食って、入りもやらず、さりとて立去りもならず、
「お客来《きゃくらい》でしたか、失礼」
 その人はぜひなく障子を締め直して立去ろうとしたが、そのお客と面《かお》を見合せないわけにはゆきません。
「おお……」
 その声と共に障子をたてきって、さながら、見るべからざるものを見たように、あわただしくその場を辞して行きました。ここに来合せたのは不幸にして宇津木兵馬であります。山崎譲は南条に向って、
「南条殿、今のは貴殿のお知合いか」
「うむ、知っている」
 この時の南条の返答ぶりを聞いて山崎は、
「南条君、君、少年をそそのかしちゃいけないぜ」
 こう言って、頗《すこぶ》る冷淡に構えました。
「そりゃどういう意味じゃ」
 南条もそらとぼけているようです。山崎は莞爾《にっこり》と笑いました。

前へ 次へ
全187ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング