存外、いたずら者が多いから、当分は帰らぬことになりましたわい」
「ハハハ、どこへ行っても当節は、いたずら者が多くて困りますな」
「仰せの通り。上方のいたずら者は禁廷のお庭の前でいたずらをする、江戸のいたずら者は将軍の膝元をつついてふざける、なかにはものずきなのがあって、拙者如きの首まで欲しがる奴があるから、全くやりきれたものではない」
山崎はこう言って自分の首筋を撫でて見せると、南条は抜からぬ面《かお》をして、
「実際、あぶないものさねえ」
と言いました。
「あぶないことこの上なし、今の江戸は将軍家がお留守で、お膝元の警備がゆるんでいるところにつけ込んで、たち[#「たち」に傍点]のよくないいたずら者がウヨウヨしている」
「それとても、たかの知れた浮浪人の仕業《しわざ》ゆえに、大したことは、ようせまい」
「ところが、事体《じたい》は意外に重大で、浮浪人の後ろには、容易ならぬ巨根《おおね》が張っている、その根を断つにあらざれば葉は枯れない。どうです南条君、その巨根をひとつ掘り返してみたいものだが、手を貸して下さるまいか」
「拙者共でお役に立つならば、ずいぶんお手助けを致すまいものでもないが、いったい、その巨根というのは何者だ」
「それは三田の四国町あたりに巣を食っている」
「なるほど」
「つまり、いたずら者の本家本元は薩摩だ、薩摩というやつは実に不埒千万《ふらちせんばん》なやつだ、その薩摩を取って押えて、ふか[#「ふか」に傍点]したり、焼いたりしてしまいたいものだ」
「なるほど」
南条はなるほどと言って、妙な笑い方をしました。
「薩摩を掘り返して、ふか[#「ふか」に傍点]したり、焼いたりして食ってしまわなければ、江戸の市中は鎮《しず》まらん」
山崎が、今にもふか[#「ふか」に傍点]したての薯《いも》を食ってしまいそうなことを言うと、南条は皮肉な面をして、
「しかし、七十万石の薩摩薯だから、ふか[#「ふか」に傍点]しても、焼いても、かなり食いでがあるなあ。第一、ずいぶんあっちこっちへ蔓《つる》が張っているだろうから、掘り返すだけでもなかなか骨の折れる仕事じゃ」
「我々の仕業は、ただ蔓を手繰《たぐ》ってみりゃいいのだ、手繰ってみると、思いがけないところへその蔓が張っているから妙だ、本所の相生町あたりまで、その薯蔓が伸びているからなあ」
山崎は胡坐《あぐら》をかき直して、煙草盆をつるし上げ、鼻の先まで持って来ました。
そこで話が少し途切れているところへ、廊下を渡って来る人の足音がありました。南条の居間の前で、その足音が止まると、
「南条殿、おいででござりますか」
障子を颯《さっ》と押開いたものです。
「あ……」
それで南条も、ややあわてました。障子を押開いた人も面食って、入りもやらず、さりとて立去りもならず、
「お客来《きゃくらい》でしたか、失礼」
その人はぜひなく障子を締め直して立去ろうとしたが、そのお客と面《かお》を見合せないわけにはゆきません。
「おお……」
その声と共に障子をたてきって、さながら、見るべからざるものを見たように、あわただしくその場を辞して行きました。ここに来合せたのは不幸にして宇津木兵馬であります。山崎譲は南条に向って、
「南条殿、今のは貴殿のお知合いか」
「うむ、知っている」
この時の南条の返答ぶりを聞いて山崎は、
「南条君、君、少年をそそのかしちゃいけないぜ」
こう言って、頗《すこぶ》る冷淡に構えました。
「そりゃどういう意味じゃ」
南条もそらとぼけているようです。山崎は莞爾《にっこり》と笑いました。
「いったい、九州の人間は、婦人よりも少年を愛する癖がある、君もまた九州人だろう」
「以ての外、拙者が九州人でない証拠は、拙者の音《おん》を聞いたらわかるだろう、婦人や少年のことは与《あずか》り知らんことじゃ」
「ははあ」
山崎は、なおひとしお思案の体《てい》で、南条の弁解をうっかりと聞き流していたが、また煙草盆を鼻の先へつるし上げて、煙草の火をつけました。屈《こご》んで煙草盆の火をつけないで、火をつけるたびに煙草盆の方を鼻の先までつるし上げるのがこの男の癖と見えます。
南条が何かしら躍起の体《てい》に見えるのに、山崎はかえって冷淡に落着いて、煙草を一ぷく吹かしてから、
「それはどうでもよろしいことだが、南条殿、今のあの少年は、ちょっとみどころのありそうな少年でござるな」
「山崎君、みどころがあるかないか、君には一見して、そんなことがわかるのか」
「わかる」
と言いながら山崎譲は吹殻をハタくと、またしても煙草盆を持って鼻の先へつるし上げました。
南条力は横の方を向いて、壁にかけた山水画をながめながめ、しきりに頬ひげを撫でている。山崎は煙草吸いだが、南条は煙草をのまない。
「というのは
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