その相歌《あいうた》う声は、さしもに広い小金ケ原の隅々に響いて、空にさやけき月の宮居にまでも届こうという有様です。しかしながら、その何百人が声を合わせて歌う声は、いつも茂太郎が口笛一つに支配されている。彼等の声がいかに高くなり、いかに雑多になろうとも、馬を曳いて真中に立つ茂太郎の口笛だけは高々として、すべての声と動揺との中に聳《そび》えています。その口笛によって音頭があり、音頭があって初めて身ぶりがあるのでした。
単にそれは人間のみではなく、家々に養っている犬という犬がまたこの騒ぎに共鳴して、争って表へ出でて、踊りと踊りの間を面白く狂い廻り、トヤに就いている鶏は、しきりに羽ばたきをして、飛んで下りたがる。いよいよ広いところへ練り出して、馬をとどめて立つと、その周囲を輪になって、人という人が夢中になって踊り狂うのは、冷やかに見ていると、物につかれたとしか思われない振舞です。
こう騒ぎが高くなっては、馬上に置かれたお喋り坊主の弁信も、そのお喋りを切り出す隙がありません。空しく馬に乗せられて、見えない目で、群集の騒ぎを聞いているだけであります。
馬上の弁信は、その周囲に耳を聾《ろう》するばかりの踊りの歌と、足拍子を聞きながら、馬の手綱を引っぱっている茂太郎に、馬上から問いかけました。
その時、茂太郎は、もう口笛をやめておりました。最初は、いつも茂太郎の口笛から音頭が始まるのだが、こう酣《たけな》わになってしまうと、茂太郎は頃を見計らって、口笛をやめて、足踏みだけをして、群集をながめているのです。
「弁信さん、どうなるんだか、わたしにもわからないのよ、最初のうちは、わたしの口笛でみんなが集まったけれど、今となっては、わたしがみんなの踊りに引摺られているようなんだもの。もし、わたしが口笛を吹かなかったり、音頭を取らなかったりすれば、きっとみんなの人が、わたしを殺してしまうだろうと思ってよ」
茂太郎は足拍子を止めないで、弁信を見上げました。
「毎晩毎晩、倍ぐらいずつ人が殖《ふ》えてきますね、一昨夜の晩五百人あったものなら、昨晩は千人になっていました、明日の晩は三千人の人が集まるかも知れません。小金ケ原は広いから幾ら人が集まってもかまわないけれど、留守居をしている者から、きっと苦情が出ますよ、娘を持っている母親や、息子を踊らせておく父親や、留守を預かっている年寄たちが
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