筑波見ろ
筑波の山から鬼が出た
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と歌い出すものだから、娘たちや若い衆が面白くなって、それにあわして、
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鬼じゃあるまい白犬だ
一匹吠えれば皆吠える
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 興に乗って年寄までが、それに合唱して歌い出すと、おのずから足拍子が面白くなり、馬の前後に集まって、盆踊りの身ぶりで踊りながら町から原へと練り出します。
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もしもし
あなたは誰ですか
わたしは盲《めくら》でござります
だれを探しに来たのです
秋ちゃんを探しに来たのです
三べん廻っておいでなさい
おいでなさい、おいでなさい
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 この踊りが噂《うわさ》に広がって、北は相馬、南は葛飾《かつしか》、東は佐倉の方面から、小金の町へ人が集まって来ます。
 噂を聞いて、踊りを見物せんがために来た者が、知らず知らず興に乗って、自らが踊りの人とならないのはありません。その伝染性の速かなことは、電波のようであります。
 一よさ、踊りの味を占めたものは、その翌日の暮るるを待ち兼ねて集まらないということはありません。二里、三里、四里までは物の数ではありません。五里、七里、八里も遠しとせずして来り踊る若い者があります。これは必ずしも、清澄の茂太郎が吹く口笛一つに引寄せられるのではありますまい。多くの人は、人の集まるところが好きです。ことに若い男は、若い女の集まるところを好みます。若い女とてもまた、若い男の踊るのを見ていやがるということはありません。
 多数の人が、興に乗じて集まる時には、老いたるもまた、若きに化せられて、そこには一種の異った心理状態が現われると見えます。
 小金ケ原に集まるほどの者は、みな踊りの人となりました。踊りを知らないものも動かされて、夢中に踊りの人となりました。
 踊らないのはただ馬上のお喋り坊主と、音頭《おんど》を取る清澄の茂太郎だけであります。
「茂ちゃん、これはいったい、どうなるのでしょうね」
 興に乗ずると我を忘れて、家を明けっ放しにして夜もすがら踊り抜こうという連中が、若い者や子供ばかりではありません。町の全体に、ほとんど幾人というほどしか留守番がいないで、声の美《よ》いものは声を自慢に、踊りのうまいものは身ぶりを自慢に、茂太郎の馬の廻りは、忽《たちま》ちの間に何百人という人の輪を作ります。

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