す。矢大臣の髯を掻きむしって行ったのもこの輩《やから》の仕業と覚しい。獅子頭《ししがしら》もかぶってみたが被りきれないと見えて、投げ出して行ったものと覚しい。
 階段の左右にかけた釣燈籠も外して行きました。それと聞いて寒松院の別当が僧侶や侍をつれて駈けつけた時分には、件《くだん》の乱暴者の影も形も見えません。
 話によると、十数名の浪人|体《てい》の者が怖ろしい勢いで闖入して来て、居り合わせたものの支うる遑《いとま》もなく、瞬く間にこの乱暴を仕了《しおお》せて、鬨《とき》の声を揚げて引上げてしまったとのことであります。
 腕に覚えのある者を択んで、そのあとを追わせたけれど、乱暴人の行方《ゆくえ》はいっこう知れないとのことであります。
 ところが実際は、その乱暴人が大手を振って御成街道《おなりかいどう》を引上げるのを見た者があるということであります。東照宮の御前にあった三本の金の御幣を真中に押立て、これ見よがしに大道の真中を練って歩いて、まだ五軒町までは行くまいと沙汰《さた》をしているものもありました。
 けれどもまた、それは嘘だ、あいつらは風を食《くら》って、もう逃げ去ってしまった、もう一足早かりせば、といって地団駄を踏むものもありました。
「追っかけて行ったけれども、あの勢いに怖れをなして逃げて来たのだ」
と悪口を言うものもある。
 なるほど彼等は、三本の金の御幣を真中に押立てて、大江戸の真中を大手を振って歩いている。
「下にいろ、下にいろ、東照権現様の出開帳《でかいちょう》だ、お開帳が拝みたければ、芝の三田の薩州屋敷へ来るがよい、我々は薩州屋敷に住居致すもので、今日、上野まで東照宮の出開帳をお迎えに参ったものだ、滅多なことを致すと神様の祟《たた》りが怖いぞよ」
 こう言って通行の人々を威嚇《いかく》しながら歩いています。通行の人たちは慄え上って道を避けて通しました。何も知らない老人夫婦は、本当に権現様が薩摩屋敷までお出開帳をなさるのかと思って、路傍に伏し拝む者もありました。
 そうすると一行の連中のうちから、わざと物々しげに拝殿から持ち出した細い紙の幣《ぬさ》で、その善男善女の頭を撫でてやり、
「神妙、神妙、一心に帰命頂礼《きみょうちょうらい》すれば、後生往生《ごしょうおうじょう》うたがいあるべからず」
というようなことを言って、よけいに善男善女を有難がらせたり
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