のような仕事で、実は相当の危険がある、やってみることは雑作がなくて、やり了《おお》せた後に祟《たた》りが来ないとは言えない、金銭に積ってはいくらでもないが、ある方面の神経を焦《じら》すにはくっきょうな利目《ききめ》のある仕事だ」
「そりゃいったい何だ」
「実はこういうわけなのだ、上野山内の東照宮へ忍び込んで……じゃない、闖入《ちんにゅう》してだ、神前の幣束《へいそく》を奪って来るのだ、幣束に限ったことはない、東照権現の前にある有難そうなものを、すべてひっくり返して来るのだ、それを、こっそりやってはいけない、面白そうにやって来るのだ、東照権現が有難いものには有難いが、有難くないものにはこの通りだというところを見せて来ればいいのだ、そのお印《しるし》に幣束を持ち帰って来るのだ。事は児戯に類するが、その及ぼすところに魂胆《こんたん》がある」
 南条はこう言いました。何のことかと思えば、徳川幕府の本尊様である東照権現の神前に無礼を加え来《きた》れという注文であります。なるほど、一派の志士には以前から、こういうことをやりたがっている人がありました。頼山陽の息子さんの頼三樹三郎《らいみきさぶろう》なんぞという人も、たしか東照宮の燈籠が憎かったと見えて、それを刀で斬りつけて、ついに捉《つか》まって自分の首を斬られるような羽目になりました。ここでもまた、東照宮の神前の幣束が目の敵《かたき》になってきたようです。なるほど、燈籠や幣束を苛《いじ》めたところで仕方がない、児戯に類する仕事であるが、それをやらせようという者には、相当の魂胆がなければなりません。
 果して、それは面白いからやろうという者が続出しました。
 全体が悉《ことごと》く志願者ですから、指名をすれば不平が出る、よろしい、主人役を除いてその余の同勢が悉く、明夕《みょうせき》押出そうということにきまって会が終りました。宇津木兵馬が帰って来たのは、その散会の後のことであります。
 果してその翌日、上野の東照宮に思いがけない乱暴人が闖入《ちんにゅう》しました。
 内陣の正面、東照公の木像を納めた扉の前に立っている、三本の金の御幣《ごへい》を担ぎ出したものがあります。事のついでに左右の白幣も、拝殿に立てた幣《ぬさ》も引っこ抜いて担ぎ出しました。お石《いし》の間《ま》で散々《さんざん》にお神酒《みき》をいただいて行った形跡もありま
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