喜の家の主人雇人までがくっついて、ちょうど三仏堂の前まで来た時、その声を聞いて米友が、屹《きっ》と後ろを振返りました。
すわ、何事! と思ったのは、前から事のなりゆきを知っているものばかりではありません。
待っていた! と言わぬばかりに宇治山田の米友は、九尺柄の十文字の槍を地に突き立て、三仏堂の前に蟠《わだかま》りました。その体《てい》を見ると、槍持の奴の癇癪《かんしゃく》が一時に破裂して、
「野郎、その槍はどこから持ってきた」
「鈴喜んちの庭から持って来た」
米友はあえて驚かない。
「野郎、誰にことわって持って来た」
「屋根の上の猫と、庭にいた鶏にことわって持って来た」
「野郎、野郎」
槍持の奴は、にぎりこぶしを両方から握り固めました。
「何が野郎だ」
米友は短い両の足を、程よく踏張《ふんば》りました。
「よこしゃがれ」
槍持の奴は、米友をけし[#「けし」に傍点]飛ばそうとかかると、
「いやだい!」
身体をこころもち反《そ》らせて、かかって来た槍持を左の手で、ひょいと横の方へ突きました。そこで槍持の奴が、はずみを食って脆《もろ》くも右の方へゴロゴロと転がったから、見ているものが驚きました。
「おや」
見ている者が面《かお》の色を変えた時に、宇治山田の米友が地団駄を踏んで、
「ただはやれねえやい、この槍が欲しけりゃ、代りの品を持って来いやい」
こう言って米友は、三仏堂の縁の前へ飛び上りました。
驚くべきことには、その途端に十文字の槍の鞘《さや》を払ってしまったものです。それはハズミで鞘が取れたのではなく、米友自身が心得て鞘を払った上に、当人がその鞘を丁寧に懐中《ふところ》へ入れてしまったから、間違いという余地はありません。槍の中身は、さすがによく手入れが届いて明晃々《めいこうこう》たる長剣五寸横手四寸の業物《わざもの》です。
これは誰も気狂《きちが》いだと思いました。その気狂いが槍の鞘を払って、ともかくも寄らば突かんと構えたのだから、命知らずでも、これはうっかりと近寄れません。
たとえハズミにしろ、槍持の奴を取って投げた今の早業からして見ると、かりそめに構えた槍の姿勢というものは、無茶に打ってかかるの隙が見出せないことが、不思議といえば不思議です。剣呑《けんのん》といえば剣呑です。
宇治山田の米友がいま構えている姿勢というのは、心あってかな
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