ゃ」
「それはそれは。そういうわけでございましたら、とりあえず間に合いそうな人を差上げておきまして、おっつけ私共も隙《すき》を見てお邪魔に上り、殿様のお差図で働かせていただくと、私共も、どのくらい修業になるか知れません」
「お前が来て見てくれれば何よりだ、遊びに来てもらいたい」
「必ずお邪魔に上ります。それから、なんでございますか、そのお船は、どのくらいの大きさになさる御設計でございます」
「拙者は、今、二つの設計を持っているのじゃ、安政二年に、お前たちがこしらえたシコナと同じものにしようか、それとも、千代田型に法《のっと》って、それに自分の意匠を加えてみようかとも思っている、どのみち、法式は西洋型のものじゃ」
「なるほど。そうしますと無論、軍艦でございますな」
「いいや、軍艦ではない、用心のために大砲を一門だけはのせてみたいが、軍艦にしたくないのじゃ。人も、さほど多く乗せる必要はないが、さりとて大海《たいかい》を乗り切って外国に行くに堪えるだけの、人と荷物とを容れ得るものでなければならん。長さは十七間余、幅は二間半、馬力は六十、小さくとも、その辺でなければなるまいと思うている」
「なるほど」
「まあ、これを一つ見てくれ」
甚三郎は座右の書類の中から、一枚の折り畳んだ絵図面を取り出しました。
「ははあ、お見事なものでございますな」
その絵図面は、駒井甚三郎が自ら引いた西洋型の船の絵図面であります。いま言った通り、スクーネル型の三本柱の船と、それから千代田型の細長い船とが、上下に二つ描かれてあるのであります。
船大工の寅吉、これは豆州《ずしゅう》戸田の人で、姓を上田と言い、その頃、日本でただ一人と言ってもよろしい、西洋型船大工の名棟梁《めいとうりょう》でありました。
寅吉は机の上に展《ひろ》げた船の絵図面を熱心にながめているし、甚三郎もまた、額《ひたい》を突き合わせるようにしてその絵図面をながめて、あれよこれよと、説明し質問し、質問がまた説明に代ったりしているうちに――もうかなりの夜更けであります。遽《にわ》かに人の叫ぶ声があって、たしか第六天の前、それとも柳橋の袂《たもと》あたりの空気が、ヒヤリと振動したのが、ここまで打って響きます。
それで寅吉は、我知らず後ろを振向きました。甚三郎は、なお絵図面の上を見ているが、それでも、耳をすまして何事かを聞かんとしているもののようです。
ワッと崩れた人の声がこの時、また、ひっそりと静まり返ってしまいました。あまりに静まり返ったために、何となく、あたりいっぱいに漂う一道の凄気《せいき》が、ここの一間の行燈《あんどん》の火影《ほかげ》にまで迫って来るようでありました。ほどなく、
「ヤア!」
という気合の声と共に、チャリンと合わせたのは、たしかに霜に冴《さ》ゆる刀の響きでした。駒井甚三郎は、絵図を手に取って首《こうべ》を起して、その物音の方をながめます。ながめたところでそこは壁です。甚三郎はその壁の一方を見つめていると、寅吉は、やはり同じ方面を見つめて、押黙ってしまいました。
「ヤア!」
二度目に気合の声があったのは、それからやや暫く後のことでした。
「斬合い!」
寅吉が身の毛をよだ[#「よだ」に傍点]てると、甚三郎は幾分か興味あるものの如く、その物音に耳を澄ましていましたが、やがて、
「面白い、ドチラも辻斬じゃ、辻斬同士が柳橋を中にして斬り合っているのじゃ、命知らずと命知らずが、ぶつ[#「ぶつ」に傍点]かって、あそこで火花を散らしている」
と言いながら微笑しました。
この時代においては、辻斬ということは、そんなに驚くべきほどのことではありません。深夜に一旦外へ踏み出せば、自分が斬られるか、或いは斬られて倒れているものを発見することは、さして難《かた》いことではありません。
けれども、船宿の二階に離れていて、霜に冴《さ》ゆる白刃の音を、遠音《とおね》に聞いているというような風流は、ちょっとないことです。本来、船宿の二階というものは、真剣勝負の白刃の響きを聞いているべきところではありません。江戸時代の船宿の二階というものは、もう少し違った風流の壇場《だんじょう》でありました。
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潮来出島《いたこでじま》の十二の橋を
行きつ戻りつ思案橋
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昔の船宿の船頭には、潮来節を上手にうたうものがありました。辰巳《たつみ》に遊ぶ通客は、潮来節の上手な船頭を択《えら》んで贔屓《ひいき》にし、引付けの船宿を持たなければ通《つう》を誇ることができませんでした。
偶然とは言いながら、駒井甚三郎は、ここで軍艦製造の相談をしなければならないのは、駒井その人が無風流なる故ではありません。文化文政の岡場所が衰えても、この時代の柳橋は、それほど江戸っ児の風流を無茶にするものではありませんでした。川開きの晩に根岸|鶯春亭《おうしゅんてい》あたりへ逃げて行くほどの風流は、持っていたはずであります。不幸にして、今宵は元の駒井能登守が、見慣れない絵図面を拡げて、スクーネルの、君沢型の、千代田型のと言っている時に聞えたのが生憎《あいにく》、常磐津《ときわず》でもなく、清元《きよもと》でもなく、況《いわ》んや二上《にあが》り新内《しんない》といったようなものでもなく、霜に冴《さ》ゆる白刃の響きであったことが、風流の間違いでした。
「ははあ、殺《や》られたな、相手は一人じゃないわい、どのみち、辻斬をして歩くほどの乱暴者だから、おたがいに倒れるまで未練な助けを呼ぶようなことがない、ましてやこの際、仲裁に出るものがあろうとも思われない、夜番や巡邏《じゅんら》が通りかかっても、見て見ぬふりして通り過ぎるだろう。こりゃ幾人いるか知れんが、この斬合いは長そうじゃ、出て見たらかなりの見物《みもの》であろうわい」
駒井甚三郎は、何か自分ももどかしそうに、寧《むし》ろその斬合いの音に興味を持って耳を傾けているが、寅吉は、さすがに面《かお》を真蒼《まっさお》にして拳を固めています……かくて暫くする時、この船宿の表の戸に突き当る音、続いてバッタリと人の倒れるような音がしました。
三
ちょうど、この晩のこの時刻に、長者町の道庵先生が茅町《かやちょう》の方面から、フラフラとして第六天の方へ向いて歩いて来ました。
いったい、この先生は、こんなところへ出て来なくってもいい先生であります。なるべくは、真剣の場所へは出したくないのですが、こういう先生に限って、出るなと言えば出てみたがり、出てもらいたい時には沈没したりして、世話を焼かせる先生であります。
いかに先生だとはいえ、身に金鉄の装《よそお》いがあるわけではなく、腕に武術の覚えがあるわけではなく、時は、この物騒な江戸の町の深夜を我物顔《わがものがお》に、たった一人で歩くということの、非常な冒険であることを知らないわけはありますまい。知ってそうしてその危険を冒《おか》すのは、つまり酒がさせる業《わざ》であって、先生自身の罪ではありますまい。ただしかし、一杯機嫌で、この真夜中にフラフラと歩き出して前後の危険をも忘れてしまい、ただ無性《むしょう》にいい心持になっているほどに、先生の飲みッぷりは初心《うぶ》なものではないはずだから、何か特別に嬉しいことがあっての上でなければなりません。
先生が唯一の好敵手であった鰡八大尽《ぼらはちだいじん》は、あの勢いで洋行してしまったし、それがために、隣の鰡八御殿は急にひっそりして、道庵の貧乏屋敷に一陽来復の春が来たのはおめでたいが、単にそれだけの嬉しまぎれに、ほうつき[#「ほうつき」に傍点]歩くものとも思われません。
さりとて、また今時分になって柳橋あたりへ、飲み直しに行こうとするものとも思われない。第六天の神主の鏑木甲斐《かぶらぎかい》という人が、かなり飲《い》ける方で、道庵とも話が合うのだから、これから興に乗じて、その人を嗾《そそのか》そうという企らみのように解釈するのも、余りに穿《うが》ち過ぎているようです。
これは先生のために、極めて真面目に解釈して、先生が深夜、急病人からの迎えを受けて、切棒の駕籠《かご》にも乗らず、お供の国公をも召連れず、薬箱も取り敢《あ》えずに駈けつけて、下地《したじ》のあるところへ病家先の好意で注足《つぎた》しをし、その勢いに乗じて、長者町へ帰るべきものを、どう間違ったか柳橋方面へうろつき出したと見るのが親切で、そうして至当な観方でありましょう。
いつぞやも言う通り、平常はぐでんぐでんの骨無しみたような先生だが、ひとたび職務のことになると、打って変った忠実精励無類の先生のことだから、天下が乱れようとも、行手に危険が蟠《わだかま》ろうとも、深夜であろうとも、辻斬が流行《はや》ろうとも、ひとたび病家の迎えを受けた以上は、事を左右に托してそれを謝絶《ことわ》るような先生ではありません――武士が戦場へ臨む心で、こうしてほうつき[#「ほうつき」に傍点]歩くのであります。
好い心持で、独言《ひとりごと》を言いながら、第六天の前まで先生が来た時に、
「えーッ、危ないよ」
路次のところから、警告を与える声がありました。
「誰だい、危ねえと言ったのは誰だい、拙者は長者町の道庵だよ、十八文だよ」
「先生、危ねえ、いま柳橋で斬合いが始まってるんだ、そっちへおいでなすっちゃいけません」
「ナナ、ナンダ」
道庵は酔眼をみはって、路次口の暗いところを見込むと、縁台の下に隠れて、そこから先生に警告を与えたのは、やはり、先生の名前を知っている地廻りの若い者と思われます。
それを聞くとどうしたものか、先生の気が忽《たちま》ち大きくなりました。
「ナ、ナニ、斬合いだ、斬合いがどうしたんだ、ばかにしてやがら、斬合いなんぞにおどっか[#「おどっか」に傍点]する道庵とは道庵が違うんだ」
「先生、いけませんよ、そんなことを言ったって駄目ですよ、さむれえ[#「さむれえ」に傍点]が三人で斬り合ってるんだ、早く、こっちへ来て、路次へ隠れておいでなさい。駄目だよ、駄目だよ、そっちへおいでなすっちゃ駄目だというのに」
「憚《はばか》りながら、どこへ出たって押しも押されもしねえ道庵だ、腕くらべなら持って来てみな、そう申しちゃなんだが、人を殺すことにかけては、当時、道庵の右に出でる者は無え……道庵が長者町へ巣を食って以来《このかた》、道庵の匙《さじ》にかかって命を落した者が二千人からある」
「困っちまうな先生、そんなことを言っている場合じゃありませんぜ」
せっかくの親切を無にして道庵先生は、フラリフラリと第六天の前へさしかかりました。
そうすると第六天の鳥居の蔭に、一団《ひとかたまり》になって息を殺している人影が、通りかかる道庵を認めて声を立てないで、手を上げてしきりに招くのが道庵の眼に留ったから、道庵もひょいとそちらを向きました。その時に一団の中から、いきなり飛び出して来た一人の男が、いきなり道庵の手首を取って、だまって鳥居の方へ引きずって行こうとします。道庵はその手を振り切ろうとしたが、なにぶん腰が据わらないので、思うようにならないところを、男はまた一生懸命で、道庵を引張り込もうとします。そうなると道庵は面白半分に、駄々を捏《こ》ねる気になって、足をバタバタさせながら、行かじとします。けれども、道庵を引張りに来た男は、たしかに一生懸命で、これもやはり地廻りの一人でありましょう、道庵をそれと知ったもんだから、自分も怖い中から飛び出して来て、何も知らない道庵のために、行手の危険を防いでやろうとする親切であります。
それも口を利くとあぶないから、黙って遮二無二《しゃにむに》、道庵を引張り込もうとするが、道庵はいま言う通り、ワザと足をバタバタさせて、駄々を捏ねるのだから始末におえません。親切に引張り込もうとした男は、いよいよ焦《あせ》って力の限り引張ると、道庵はまた、いよいよ面白がって、
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「なにがしは平家の侍、悪七兵衛景清《あくしちびょうえかげきよ》と
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