た時は、その率直な一種の真実味が彼を慰めてくれました。それでも堪えきれない時に、一刀を帯びて人を斬りに出かける。
夜半に夢が破れた時には、その破れ目の傷口から、あらゆる過去が流れ出すのです。
与八に抱かれて行ったその子供が、雲に乗って天上へ舞いのぼると、その雲が火になって燃え出すのは、堪え難い執念です。
今までの過去という過去が残りなく、そこへ並べられる最後に、その中へ現われるのは、いつも我が子の郁太郎の面影《おもかげ》でありました。我が子の面影のみは払おうとして払うことができません。消そうとしても消すことができません。まさに親の因果が子に報うべき現世の地獄を、眼《ま》のあたりに見せらるることが苦しくないではない。幾度か、故郷へ帰って、その見えぬ眼に、わが子を抱いてのち死にたいと思い立ったけれども、今となっては、もうそんな心持はないらしい。
四隣《あたり》、人定まった時に、過去のことと人とを思い出すことが彼にとっては、ひたひたと四方から鉄壁で押えつけられるように苦しい。枕許の水差を引寄せて、水をグッと一口呑んだ時に、つい隣の部屋で、思いがけなく短笛《たんてき》の音が起りました。
一口飲んだ水さえが、火となって胸の中で燃えるかと思われる時に、短笛の音は、一味の涼風となって胸に透《とお》るのです。
この真夜中に、隣の部屋で尺八を吹き出したものがあります。竜之助の持っている風流といえばおそらく、尺八がその唯一のものでありましょう。それは父の弾正が好んで吹いたものであります。それを学んだ竜之助は幼少の時から、それだけは心得ておりました。伊勢から東海道を下る時に、たしか浜松までは、その一管の尺八に余音《よいん》をこめて旅をして来たはずです。浜松へ来て、お絹に逢ってから尺八を捨てました。少しく光明を得ていた眼が、再び無明《むみょう》の闇路《やみじ》に帰ったのも、その時からでありました。
父から尺八を教えられる時に、竜之助はよく、尺八のいわれを聞かされたことであります。臨済《りんざい》と普化禅師《ふけぜんじ》との挨拶の如きは、父が好んで人に語りもし、竜之助にも聞かせました。竜之助には、そのことがわかったような、わからぬような心持がしていました。父が、よくすべてを禅味に持って行くことを竜之助は、むしろ反感を懐《いだ》いていました。普化禅師の物語を聞かされた時も、冷淡に聞き流してしまったもので、尺八そのものの音色《ねいろ》には、どうかすると我を忘れることもあるのが、自分ながら不思議と言えば不思議であります。
気のせいか知らん、このとき隣室に吹いている尺八の音色が、又なく微妙なものに響きます。吹く人の技《わざ》の拙《つたな》からぬことも、吹かれている尺八そのものの稀れなる名器であるらしいことも、竜之助は聞いて取ることができました。
吹いている曲は、たしかに「恋慕《れんぼ》」と思われる。
尺八を吹いているのは金伽羅童子《こんがらどうじ》で、歌をうたっているのが制多伽童子《せいたかどうじ》です。
二人は双子《ふたご》でありました。もとはしかるべきさむらいの子であったとかいうことですが、みなし児になってこの家に引取られ、実の名もあるにはあるが、この楼《いえ》の者は二人を呼ぶに、金伽羅、制多伽の名を以てして、その実の名を呼ぶ者がありません。
かつて素人芝居《しろうとしばい》があった時、この楼の主人が文覚勧進帳《もんがくかんじんちょう》の不動明王に扮《ふん》して、二人がその脇侍《きょうじ》の二童子をつとめたところから、その名が起ったものであります。
二人は、ここの家に拾われて、掃きそうじ[#「そうじ」に傍点]や、庭の草取りや、追廻しをつとめていました。天性、二人は音楽が好きで、楼の人の学ぶのを見まね、聞まねに、さまざまの音曲を覚えています。人定まった後に誰もいないような部屋を選んで、二人はこうして、笛を吹き、歌をうたうのが何よりの楽しみであります。
「ねえ、金伽羅《こんがら》さん、今度はすががき[#「すががき」に傍点]をおやりよ」
とすすめたのは、歌をうたっていた制多伽《せいたか》であります。
「制多伽さん、このお隣には人がいるのよ」
金伽羅童子は、尺八を膝に置いて返事をしました。
「え、人がいるの、お隣に?」
「ええ、病気なんでしょうよ、はじめのうちは大へん苦しがっていたんですけれど、そのうちに癒って寝てしまったようですから、それで、わたしは笛を吹き出しました。あんまり吹いたり、歌ったりして、せっかく寝た人を起すと悪いね」
「そう、でも、病気が癒って寝てしまったんなら、いいでしょう、すががき[#「すががき」に傍点]をもう一つおやりよ、わたしは歌わないで、だまって聞いているから」
「そうしましょうか」
やがて、また、しめやかな尺八の音《ね》が起りました。
「ウーホフ、ホウエヤ……」
こんどはすががき[#「すががき」に傍点]を始めました。淀《よど》みもなく三べん吹き返したすががき[#「すががき」に傍点]は、子供の歌口とは思われないほどに艶《つや》のあるものです。
「うまいね、金伽羅さん」
制多伽は、その短笛の音色に心から感心して賞《ほ》めると、賞められた金伽羅は無邪気に嬉しがって、
「あんまり賞めないで頂戴、笛がいいんだよ、笛のせいで、よく吹けるんだね」
「金伽羅さん、こんどはおかざき[#「おかざき」に傍点]をおやりよ、ね、おかざき[#「おかざき」に傍点]をやって下さいな」
「やりましょうかね。では、おかざき[#「おかざき」に傍点]をやるから制多伽さん、お前、おうたいなさいな」
「あ、歌いましょう」
隣室の人を驚かすことを怖れて、歌わないと言った誓いを忘れて、二人はまた興に入《い》ってしまいました。
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岡崎女郎衆
岡崎女郎衆
岡崎女郎衆はよい女郎衆
岡崎女郎衆はよい女郎衆
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二人を知っている者は、それでよかろうけれども、二人を知らない者にとっては、壁を隔ててするその会話は、一種異様なものに聞えます。まことの金伽羅童子、制多伽童子がこの場へ天降《あまくだ》りして、戯れ遊んでいるのではないかとさえ思われるほどに、世間ばなれがしています。
思いがけなくその幸福を受けたのは机竜之助でありました。次の間で天童の戯れ遊ぶことによって、この世からなる地獄の責めを免れました。「恋慕」を聞き、すががき[#「すががき」に傍点]を聞き、「岡崎女郎衆」を聞いているうちに、いつかは知らず恍然《うっとり》として、夢とうつつの境に抱き込まれました。いいあんばいに、ほとんど一日を寝通して、その日の黄昏《たそがれ》にこの家を出て行きました。駕籠《かご》に乗って帰る途中で、昨夜《ゆうべ》の金伽羅童子と制多伽童子のことが思い出され、あの尺八の音色が忘れられません。
歌の声の可憐なのが、耳許についているようです。
そこで、駕籠の中から、駕籠舁《かごかき》に向って注文しました、
「尺八を一本求めたいが、新しいのでもよし、古いのでもかまわない」
やがて、その望みが叶うて、とある道具屋で、駕籠舁が一本の煤色《すすいろ》した尺八を求めてくれました。
駕籠の中で竜之助は、その尺八の歌口をしめしました。そこで、昨夜の「恋慕」が吹いてみたくなりました。金伽羅童子が吹いためりかり[#「めりかり」に傍点]を、真似るともなく真似て吹いていると、自分ながらいい心持に吹けてたまりません。
三返しまで「恋慕」を吹いて、それから獅子踊の前歌にかかりました。それを吹きはじめると、いよいよゆうべ聞いた金伽羅童子の冴《さ》えた笛の音が、そのまま、この笛に乗り移ったかと思われるほどです。そうして、あの制多伽童子のそれに合せて、うたっている声まで、ありありと、そこにひびいて来るようです。
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身をやつす、賤《しず》が思いを、夢ほど様《さま》に知らせたや、えい、そりゃ、夢ほど様に知らせたや……
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自分の吹いている尺八と、金伽羅童子の尺八と、制多伽童子の歌とが全く一つであって、二つとも、三つとも思われません。
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浅ましや、賤が身は、ただ一夜で落ちて、名を流す、えい、そりゃ、一夜で落ちて名をながす……
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あまり面白いので、
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ヤリ、ヤリ、ヒヒ、ヤリエウホフ
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と吹いて行くと、
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それとても苦しうござらぬ、若いが二たびあるにこそ、えい、そりゃ、枯木で花が咲くにこそ……
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どうしてこんなに面白いのだかわからない。自分で吹いて、自分の音色に聞き惚れていると、金の鈴を振るような制多伽童子の音声が、常住不断に耳もとで鳴りひびいています。心なき駕籠屋も、心して駕籠を揺れないように舁《かつ》いで行くものらしい。
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鎌倉の御所のお庭で、十七小女郎がしゃくを取る、えい、そりゃ、十七小女郎がしゃくをとる……
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しゃくをとるはいいけれど、いったい、この駕籠はどこまでやるつもりだ。
十一
お角があの晩、おそく両国の小屋へ帰って来た時分に、まだ茂太郎が帰っていませんでしたから嚇《かっ》としました。
小屋の者どもを叱りつけて、迎えにやったけれども、そのお客はとうに帰ってしまったとのことです。お角が、むしゃくしゃに腹を立てたのは無理がありません。こうなっては、たしかにかどわか[#「かどわか」に傍点]されたと見るよりほかはない。大切《だいじ》の大切の一枚看板を外されては、明日からの人気にさわる。人気よりも、損得よりも、出し抜かれたことがお角としては口惜《くや》しい。ことに相手が女であるとのこと、しかるべき切髪の、まだ水々しい女であったということが癪にさわってたまらない。その女は若党らしい男をお伴《とも》にしていて、茂太郎を連れ出して、船で柳橋の方へ乗り出したということです。負けない気性のお角を、それと知ってしたことか、知らずにした悪戯《いたずら》か、こればかりは容赦ができないと、お角は歯噛みをして口惜しがりました。
朝になると、染井のお屋敷から参りましたという使の者が、
「へえ、御免下さいまし、染井のお屋敷から、こちらの太夫元へお言伝《ことづけ》がありました、というのはほかじゃございません、こちらの小屋に出ておいでなさる茂太郎さんというのが、どうしたものやら、昨晩、迷児《まよいご》になって、染井のお屋敷のお絹様をたよっておいでになったそうでございます、お絹様も、不憫《ふびん》に思召して、昨晩はあれへお泊め申して、よくよく事情をお聞き申してみまするていと、両国の女軽業《おんなかるわざ》の一座に出ておいでなさるということですから、こちらの太夫元に、もしお心当りがございましたら、早速お引取りにおいで下さるようにと、こういう使の趣で、早々とやって参りました」
それを聞いたお角が、夜具を刎《は》ねのけて、
「いずれ御挨拶を申し上げますから、帰って下さい」
使の者は、ニヤリと笑って帰りました。
なんというばかばかしいことだろう、すっかりあの女に鼻毛を読まれてしまった、どうしたらこの仇《かたき》が打てるだろうと歯ぎしりをしました。ほんとうにそうです。お角として、これから染井の屋敷へ出かけて、あの子を引取りに参りましたと言って、お絹の前へ手が突けるものか、突けないものか。さりとて引取りに行かなければ、向うは、茂太郎を人質に取って、これ見よがしのおもちゃにするにはきまっている。第一、あの呼び物がなくなっては、今日からの一座も打てないじゃないか。お絹という女は虫唾《むしず》の走るほどキザな奴だ、噛んで吐き出してやりたいほどイヤな奴だと、お角は腹が煮えくり返ってたまりません。プンプンして弟子たちに当り散らしているところへ、
「お早う、親方はおいでか」
と言って、やって来たのが七兵衛であります。
ここへ七兵衛が来合わ
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