の間、その界隈で辻斬沙汰があったところだけれど、まだ宵の口ではあるし、両国から柳橋まで、ほんの一足のところですから、お伴《とも》をつれなくっても心配ではありません。
お角は派手な着物を着て、それに薄化粧さえしているようです。こうしてお角が柳橋に駒井を訪ねるのは、今に始まったことではありません、三日に上げず宵のうちに駒井を訪ねて、でも、そんなに長話はしないで帰ります。駒井もまた、お角の訪ねて来ることを好まないではないらしい。ただ何のために、こうして、しげしげお角が駒井を訪ねて来るのだか、また駒井ほどの人が何用あって、しばしば、お角のような女を近づけるのだか、そこの辺が、どうも腑に落ちないようです。そこで、もとは駒井の先代の家に仲間奉公をしていたというこの船宿の亭主と、おかみさんとは、その噂をして、お角が来るたびに小首を捻《ひね》っているのであります。
駒井の殿様ほどの人が、あんな女を相手になさろうはずはないと思うけれども、そこは、あたりまえに考えてしまうわけにはゆかない。あれほどの殿様が、甲州をしくじ[#「しくじ」に傍点]っておいでになったのも女のためであった。その相手の女というのは
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