もなく逃げ去ったそれであります。
 あの後、二人は、この名刀を、この神社の天井裏へ今日まで隠して置いたものと思われる。まもなく身体中|煤《すす》だらけになって出て来た七兵衛は、小脇には油紙に包んだ細長い箱を抱えていました。伯耆の安綱は、やっぱり無事でここにいたものらしい。
 七兵衛が箱を抱えて再び社の前へ出て来ると、思いがけなく縁に腰をかけて、煙草《たばこ》をパクリパクリやりながら澄まし返っているものがあります。それが余人ではない、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵でしたから、
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、来ていたのかい」
 七兵衛も呆《あき》れ面《がお》です。すばしっこい[#「すばしっこい」に傍点]のは今にはじめぬことだが、かくまで澄まし返って、脂下《やにさが》っていられると癪《しゃく》です。
「兄貴、御苦労、御苦労」
 七兵衛の出て来たのを見て、銀張りの煙管《きせる》を縁の上へ抛《ほう》り出して、片手を伸べたものです。
「ふざけるない」
 七兵衛が叱りつけると、がんりき[#「がんりき」に傍点]はニヤリニヤリと笑い、
「兄貴も思いのほか人が悪いや、弱い者を苛《いじ》めっこ
前へ 次へ
全221ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング