のだろうと見当をつけました。
これらの連中からわざと遠廻りをして社の裏へ出て、暫く様子をうかがっていると、
「エエ、宝暦十二年、壬午《じんご》夏四月、山県昌謹撰とあるが、宝暦十二年は、いったい今から何年の昔になるのじゃ」
「左様な、宝暦は俊明院殿の時代で、ええと、今からおよそ、一百三年、或いは四年前に当る――」
こんなことを言って風流人は、紙に巻いたものを携え、ゾロゾロ松林の中を出て行ってしまいました。
そこで七兵衛は神社の表へ廻り、参詣をするふり[#「ふり」に傍点]をして扉をあけて、社内へ入り込むと足場を見はからって、梁《はり》を伝わって天井の上へ身を隠してしまいました。
これは申すまでもなく、さいぜん山崎譲の前で誓った、伯耆の安綱の刀というのを取り出しに来たものであろう。その伯耆の安綱の名刀というのは、お銀様の家、藤原家に祖先以来伝わる名刀であって、それをお銀様に頼んで幸内が持ち出し、幸内はその刀のために、神尾の惨忍な手にかかって一命を落し、その刀はまた神尾の手からがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の手にうつり、百は流鏑馬《やぶさめ》の夕べを騒がして、七兵衛と共にいずこと
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