りむら》まで来ると、そこで本街道を曲って入り込んだのが、酒折の宮であります。
酒折の宮の庭へ入って見ると、松林の間に人が集まって噪《さわ》いでいます。
日本武尊が東征の時、ここに行宮《あんぐう》を置いて、
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新治《にひはり》、筑波《つくば》を過ぎて幾夜《いくよ》か寝つる
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と歌を以て尋ねた時、傍の燭《しょく》を持てるものが、
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かがなへて夜には九夜《ここのよ》、日には十日《とをか》を
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と答えたという事蹟がある。
ここに立てる石碑のうちには、本居宣長《もとおりのりなが》の「酒折宮寿詞《さかおりのみやよごと》」を平田篤胤《ひらたあつたね》の筆で書いたものと、甲州の勤王家|山県大弐《やまがただいに》の撰した漢文の碑もある。七兵衛は、左様な委《くわ》しいことは知らないけれども、この社《やしろ》が由緒《ゆいしょ》ある社であるということは心得ているはずです。右等の碑文が、さほど好事家《こうずか》の間に珍重がられているという理由は知らないが、いずれ俳諧師かなんぞの風流人が、石摺《いしずり》を取っている
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