して、思うようにその人の面影《おもかげ》をうつしてくれません。
その時に駒井甚三郎は、ふと己《おの》れの後ろで人の足音を聞き咎《とが》めたから、橋下をのぞんでいた提灯を振向けました。つい、自分の後ろ十間とは隔たらないところに、またしても一個の人影があります。
それは船大工の寅吉ではありません。寅吉とは全く違った両国広小路方面から歩いて来たものです。それも駒井のここにいることを認めて、なるべく忍び足で近づいて来たものと見えました。
「誰じゃ」
この時は駒井甚三郎が、猶予なく言葉をかけました。
「そなたは誰じゃ」
その返事は、まだ少年の声であるらしい。
「何用あって、この夜更けに」
駒井は再び咎《とが》め立てすると、
「そなたこそ、何御用あってこの夜更けに」
少年は甚三郎に反問して来ました。
「橋の上が騒がしい故に、出て見たところであるわい」
「橋の上を騒がしたのは、貴殿ではござらぬか」
少年はジリジリと、二三歩進み寄ります。
「拙者ではない……見受けるところ、そなたはまだ少年のようじゃ、橋の上が騒がしいと知って、一人でここまで来られたか、それともつれがあって来られたか」
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