屹《きっ》と見上げました。
この深夜に、長い抜刀《ぬきみ》を片手にかざしながら、橋上にただ一人で突っ立っている光景は、舟の中から見ても穏かなる振舞とは見えません――それで、手を休めて、橋上の人のなさん様を眼も離さず見ていたが、この小舟の中には、この船夫一人ではありません。他に一人の客があって、その客人もまた、船夫と同じような怪しみと熱心とを以て、橋上の人を見つめているのであります。
それがために、せっかく、河岸へ着けようとした舟は河岸へ着かず、神田川を出でて大川に合せんとするところの波に揉まれて漂うています。この怪しい舟の船夫《せんどう》というのは小柄な男で、一人の乗客というのは頭巾を被《かぶ》った女のような姿の人。申すまでもなく、船夫はすなわち宇治山田の米友で、お客はとりも直さずお銀様でありました。
こうして橋の上と下とでは、無言のままに睨み合いをしていました。駒井甚三郎は提灯の光で、その怪しの舟と、乗組の何者であるやを見極めようとしたけれども、提灯の光は充分にそこまで届きません。舟の中なる米友は、同じ提灯の光をたよりに橋上の人を見つめているけれど、提灯の光は朦朧《もうろう》と
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